◎朝6:30起床
妻「ほ、休みの日に限って早かもん」
私「目の覚めてしもうた」
「その黒は汚れとる、洗濯に出すたい、
丹前(たんぜん)出して来ようか?
デリケートでセンチメンタルでナイーブやろ!?」
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◎『陰の力』
私「奥さんの陰の力、陰の支えがあって俺がある、陰の支えに感謝」
妻「ほっ、めずらっさ(珍しい)、
どげんしたと」
………
聖教新聞を読んでいる妻
「あ〜これね? あははは………
今日の名字の言から言ったね?珍しかと思ったもん。ジー(えらい)普段言わんこつ言うてもちゃ〜んとバレるよ?」
あはははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
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【一年前の今日】
●午前八時起きたら太陽が燦々と?
天空に雲ありて
風吹けど
太陽は 今日も昇る
午前八時の青年の太陽(かれ)は
無限の迫力を秘めて
滲透(しんとう)しつつ 正確に進む
『青年の譜』
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●家康
「やれやれ、七十余歳になって、みなの子や孫をひきいて戦わねばならぬのは、この家康ただひとりか」
(徳川家康23巻)
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◎まんぷく
大福帳(だいふくちょう)
私「昔の帳簿やな?」
妻「???」
「昔の帳簿たい」
「そうね、全然興味のなか………
普通はそんなとこには目の止まらんよ、
さすが税理士さん?」
江戸時代・明治時代の商家で使われていた帳簿の一種。大帳(だいちょう)または本帳(ほんちょう)、「大宝恵(おぼえ)」とも言われ、繁盛を願い縁起の良い文字が選ばれた。
売掛金の内容を隈無く記し取引相手ごとに口座を設け、売上帳から商品の価格や数量を転記し取引状況を明らかにした帳簿で商家にとっては最も重要な帳簿の一つであった。西ノ内紙[1]や美濃紙、半紙を四つ折り20枚程度で一綴りにしたもので不足した場合には付け足していた。
また当時の商業取引の前提として売上は「掛売り」が基本であったため、三井越後屋を代表とする「現金掛値無し」(言い換えると現金購入なら売掛入金の期間分は割引きします)という新商法の台頭までは大福帳=売上帳の機能を担っていた。
◎ダウンロード??
チャイコフスキー交響曲第5番
ドヴォルザーク交響曲第9番『新世界』より
ベートーベン交響曲第9番『歓喜の歌』
◎公明・西田政調快調
中古車購入支援
エコカー支援
住宅購入支援
プレミアム商品券
シングルマザー寡婦控除
☆さすがきめ細かいバランス???
◎大隈重信、沈黙の勝利(読売新聞11/3)
「開拓使官物払下げ事件」
(かいたくしかんゆうぶつはらいさげじけん)
北海道開拓使長官の黒田清隆が開拓使官有物を同郷薩摩の政商五代友厚らの関西貿易商会に安値・無利子で払下げることを決定したところ、世論の厳しい批判を浴び、 払下げ中止となった事件を指す。1881年(明治14年)、明治十四年の政変のきっかけとなり、伊藤博文が大隈重信を政府から追放。また、国会開設の勅諭(ちょくゆ)が出された。
「明治14年の政変」
1881年(明治14年)に自由民権運動の流れの中、憲法制定論議が高まり、政府内でも君主大権を残すビスマルク憲法かイギリス型の議院内閣制の憲法とするかで争われ、前者を支持する伊藤博文と井上馨が、後者を支持する大隈重信とブレーンの慶應義塾門下生を政府から追放した政治事件である。近代日本の国家構想を決定付けたこの事件により、後の1890年(明治23年)に施行された大日本帝国憲法は、君主大権を残すビスマルク憲法を模範とすることが決まったといえる。
佐野常民
「つとめて沈黙を守られ、また、時事に言及せず………静かに徳望を養うことを第一に考えられ、ご注意なされたく存じます」
政変から17年後の明治31年(98年)、内閣総理大臣に就任し、憲政史上初の政党内閣を組織する。
早稲田大学『大隈候一言一行』
大隈は「自分が以前から国家の為に計画して居たことは、大抵政府から方逐されてから後に、事実となって現はれた」
「吾輩は敗れて勝ったんです」
☆『大隈重信記念館』
11月6日(火)佐賀に行くので寄ってみよう??
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夜はもしかしたらまた『佐賀の夜』かも?