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2018.8.20

2018年08月20日 (月) 00:04
2018.8.20

◎来生たかお「夢の途中」
またまたFBで見つけた“私の歌”

「…スーツケースいっぱいにつめこんだ
希望という名の重い荷物を君は軽々と……」
?

1981年元旦新宿歌舞伎町………
オールナイト・セーラー服と機関銃
「俺の人生はいったいどうなるのか……」
2月15日、24歳………
東京から“都落ち”する時の
思い出の青春讃歌。
私の19番です♪

ちなみに18番は
中村雅俊「恋人も濡れる街角」?

☆今スマホでダウンロード317曲?
???
  
   
◎天神地下街駐車場
20分100円。
夕方5時〜明日の朝10時までとして、
ざっと300円×18時間=5,400円?
駐車場代が高い、と思ったら、
「泊まりは1,000円です」
「あ、そう、助かった」
???
   
     
◎朝11時に帰ったら
妻「お帰り〜!! 
お父さんのおらんやったけん、
恵と二人でワンワン泣きよった、
聞こえんやった?」
?

娘「お父さんの梅ヶ枝餅買ってきとらすよ」

妻「わーどげんした、明日雨の降るよ??」
  
  
◎ドライブレコーダー
「あおり運転を撮影するドライブレコーダーを俺も設置しようかな??」

「了解しました!準備出来たら報告します」

妻「レクサスで煽られること無かろもん」
  
  
  
◎出典

☆明治
『易経』の
「聖人南面而聴天下、嚮明而治」
より。
「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」
というこの言葉は、過去の改元の際に江戸時代だけで8回、計10回候補として勘案されているが、通算11度目にして採用された。
岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選した。
聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まるという意味である。

☆大正
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の
「大亨以正、天之道也」
(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)
から。
「大正」は過去に4回候補に上がったが、5回目で採用された。
なお大正天皇実録によれば元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案があったが、最終案で「大正」「天興」「興化」に絞られ、枢密顧問の審議により「大正」に決定した。

☆昭和
「昭和」の由来は、四書五経の一つ書経堯典の
「百姓昭明、協和萬邦」
(百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す)
による。
漢学者・吉田増蔵の考案。
なお、江戸時代に全く同一の出典で、明和の元号が制定されている(「百姓昭明、協和萬邦」)。国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う意味である。

当時枢密院議長だった倉富勇三郎の日記によれば、宮内省(現:宮内庁)作成の元号案として「神化」「元化」「昭和」「神和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」があったが、数回の勘申の結果、「昭和」を候補とし、「元化」「同和」を参考とする最終案が決定した。一方、内閣では「立成」「定業」「光文」「章明」「協中」を元号案の候補に挙げていた。

☆平成
新元号の発表時に小渕恵三が述べた「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の
「内平外成(内平かに外成る)」、
『書経(偽古文尚書)』大禹謨の
「地平天成(地平かに天成る)」
からで
「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である。
日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国の年号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。

江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている[14]。

なお、平成の決定の際には専門家から出典箇所が偽書の偽古文尚書であり、相応しくないとする意見もあった[要出典]。
  
  
◎易経(えききょう)
五経の一つ。占いの理論と方法を説く書。『周易』とも,単に『易』ともいう。「経」 (64卦〈か〉の卦画,および卦辞,爻〈こう〉辞) 上下2編と「伝」 (解説) 10編から成り「伝」は「十翼」ともいう。「伝」は,彖 (たん) 伝,象伝,繋辞伝,文言伝,説卦伝,序卦伝,雑卦伝から成り,卦画は古代の帝王伏羲 (ふくぎ) ,卦辞は周の文王,爻辞は周公,「伝」は孔子の作とされるが確かではない。このうち繋辞伝は単なる予言をこえた深淵な哲学を説くものとされ,中国思想史上に重要な位置を占めている。

◎書経(しょきょう)
政治史・政教を記した中国最古の歴史書。堯舜から夏・殷・周の帝王の言行録を整理した演説集である。また一部、春秋時代の諸侯のものもあり、秦の穆公のものまで扱われている。甲骨文・金文と関連性が見られ、その原型は周初の史官の記録にあると考えられている。儒教では孔子が編纂したとし、重要な経典である五経のひとつに挙げられている。

◎史書(し‐しょ)
歴史を記した書物。歴史書。
  
  
◎産経省
「兵法の奥義は人と争わず………」
「袖の下」
「抜打」(ぬきうち)
→「ぬけうち」と読めば、
「警察の目をかすめて公禁の品を売る」
「居直り」
「玉にきず」
………?
  
  
  
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
2018.8.20
早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.163
第三章 禅宗の教義を破す

竜女は坐禅の成仏とする説を破す(問答5)
また禅宗側が、法華経提婆達多品第12の竜女の成仏について説かれている中で、「諸仏の所説の甚深の秘蔵悉く能く受持し、深く禅定に入って、諸法を了達し、刹那の頃に於いて、菩提心を発して不退転を得たり」とあるので、竜女の成仏は坐禅による成仏であり、法華経は無益であることが明らかである、と主張した場合の破折の仕方が示されている。


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