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2018.7.29

2018年07月29日 (日) 00:19
2018.7.29

◎今朝も6時に目が覚めて
ちょうどトイレから綺麗な朝日が?
「朝が早くなった」
妻「年取ったせい」

うちは自宅から朝日?も夕日?も見えますが、それに気づいたのが新築して20年経ってからでした。それまでは余裕がなかったようです。
??
  
  
【一年前の今日】
◎今は首相を支える時
/古賀誠元幹事長

◎こういうときこそ、みんなが歯を食いしばってスクラムを組んで、安部首相を支えなきゃいけない。どんなにつらくてもね。
/森元首相
  
  
◎1976(昭和51)年7月27日
田中角栄元首相逮捕。
私18歳、大学浪人中。
久留米の予備校の帰り、久留米駅で号外を貰い、国鉄各駅電車の中で衝撃を受けたことを今でも覚えています。
「え〜!!一国の元首相が……こりゃ大変ばい」


◎食洗機
妻「教えとくけん。電源押して、スタートボタン。これだけたい」
「水は?」
「入れんでよか!! あ〜これでまた一つ覚えたね。小学5年生やけん」

「この食洗機は“50?以下ご褒美”だったけど、その後楽して“幸せリバウンド”」
「は〜いお陰さまで」
??
  
  
◎うれしきかな末法流布に生れあへる我等かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人(新池御書P1439)
  
◎夫れ運きはまりぬれば兵法もいらず・果報つきぬれば所従もしたがはず(四条金吾殿御返事P1192)
  

◎滝山祭(聖教7.28p.3)
私にとっても滝山祭は創立者との思い出多き原点です。
?

「何事も、ゆるぎない基盤が簡単にできあがるはずはない。ありとあらゆる経験と試行錯誤を重ね、苦しみ、あるときは攻撃を受け、揺さぶられ、失敗もし、それら一切に耐えながら、なお理想に向かって歩みとおしたとき、初めて、永遠性を持った磐石な建設がなされる」
???
 
 
◎美人の地区婦人部長からカット??
40代後半なのにお孫さんがもう5人?
O婦人部長
「今のところに移ってきて25年になります」

私「髪が長くなるのが早くなった。
若くなったかも」(笑)

妻「髪、顎、顔、良かね〜」

我が地区の“三大美人”ーー
小池栄子に似た女子部のマリナちゃん、
地区婦人部長、それにうちの奥さん?
?
 
 
◎カフェネイ
36歳のママ?
「糖尿と言われますけど顔色いいですね」

「中身がたぶん問題」
(笑)


◎『平安京』(安部龍太郎)
「この仕事とは」
「新しい都を造ることだ。この大きな仕事の前では、自分の意地やこだわりなど、小さなことのように思えてきたのだ」

「実は、この対立の背後には、天智天皇派と天武天皇派の長年の確執があるのだ」

争いの端緒は白村江の戦い(663年)、いや、それより十八年前の大化の改新(646年)にまでさかのぼる。

(天智天皇の)後を継いだ大友皇子(おおとものみこ)(弘文天皇)は父の方針を受け継いだが、唐や新羅と和睦すべきだと考える大海人皇子(おおあまのおうじ)は、近江朝廷を滅ぼして新たな政権を立てた。
これが任申の乱(じんしんのらん)である。

壬申の乱(じんしんのらん)
天武天皇元年(672年)6月24日 - 7月23日に起こった古代日本最大の内乱である。

近江朝廷が滅び、再び都は飛鳥(奈良県高市郡明日香村)に移されることになった。

武内宿禰(たけしうちのすくね)
『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」、他文献では「建内足尼」とも表記される。「宿禰」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意とされる。

景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。

眉輪王の変(456年)
葛城氏滅亡
雄略天皇即位

眉輪王(まよわのおおきみ、允恭天皇39年(450年) - 安康天皇3年(456年)8月)は、記紀に伝えられる5世紀頃の皇族(王族)。目弱王とも。父は大草香皇子(おおくさかのみこ。仁徳天皇の皇子)、母は中蒂姫命(なかしひめのみこと。履中天皇の皇女)。

記紀によれば、父の大草香皇子が罪無くして安康天皇に誅殺された後、母の中蒂姫命は安康天皇の皇后に立てられ、眉輪王は連れ子として育てられた。安康天皇3年(456年)8月、年幼くして(記に7歳とする)楼(たかどの)の下で遊んでいた王は、天皇と母の会話を残らず盗み聞いて、亡父が天皇によって殺されたことを悟り、熟睡中の天皇を刺殺する(眉輪王の変)。その後、坂合黒彦皇子と共に円大臣の宅に逃げ込んだが、大泊瀬皇子(後の雄略天皇)の兵に攻められ、大臣の助命嘆願も空しく、諸共に焼き殺されたという。

「眉輪王は義理の父親の安康天皇を殺し、謀叛人として攻め亡ぼされたと聞いていますが」
「それは勝った者が、自分の都合のいように言い伝えたからです。安康天皇を殺したのは大泊瀬皇子、後の雄略天皇ですよ」
「………」
?


?今日はまるで日曜日みたいだった。
さすが友好週間は時間がたっぷり。
今日は大牟田は夏祭りで、スポーツクラブも閑散としていました。
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.163
第三章 禅宗の教義を破す

問う禅法には仏説無益なり、答う一義に云く是自義なるか経文なるか、一義に云くやがて是が天魔の所為なり。

問うて言う。「教外別伝・不立文字」で仏説は禅法にとって無益である。

答えて言う。一義には、それは自義なのか経文なのか。

一義には、そういうこと自体がまさに天魔のしわざである。


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