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2018.4.1

2018年04月01日 (日) 00:02
2018.4.1

◎花子とアン(最終回)
I don't know what lies around the bend, but I'm going to believe that the best does.”

「曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。
でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの」
?

◎わろてんか(最終回)
あなたのそばに沈んでいる人がいたら、
声をかけて下さい。
「わろてんか」
?


◎昼の同時中継に妻の友人か参加?
中学の同級生、3回目?
そのあとお茶
妻「カフェネイにいたろが、
車でわかってもん、
一階にいたとよ?」

友人「池田先生の話に感動した?
初めて話を聞いた、
素晴らしい方ね」
??


◎朝鮮戦争最大の
「A級戦犯」は
李承晩だった
/石平

●朝鮮戦争は何だったのか
古代から現在に至るまでの朝鮮半島の歴史上、朝鮮戦争こそ最大規模の戦争であったといえよう。朝鮮戦争は見事なまでに、韓民族自身が起こした内戦だったのである。彼ら自身が起こして、米中両大国を巻き込むかたちで戦われた。

●「民族分断」の原因を作ったのは誰なのか
「単に米ソ両国の戦略的利害が相反したために、国土分断の悲劇があったのではない。朝鮮民族自体の内部がまず分裂していたのである」

「(朝鮮の)民族主義者や共産主義者はみな同じく抗日闘争をしたといいながらも、基本的な理念と路線の差異のために共同戦線を構築できなかった。それだけでなく、互いに敵対関係にあったという歴史的事実の中に、われわれは1945年の国土分割の民族内的要因を見ることができる」

●最初から戦争するつもりだった
金日成と李承晩
両方ともやる気満々だった以上、朝鮮半島で戦争が起きないはずはない。
ここで注意しなければならないのは、共産主義者の金日成だから好戦的であるとか、朝鮮を再建する米ソ間の協力が失敗したから戦争になった、というレベルの話ではない点である。共産主義者の金日成と同じように、民主主義者であるはずの李承晩も、最初から戦争をやりたくて仕方がなかったのである。

「あとがき」
北朝鮮がとった際どい行動の背景にあるのが、朝鮮半島の分断状況であるということはいうまでもないが、米中や日本など、世界の大国は今でも、朝鮮半島内部の紛争に巻き込まれ、翻弄されたままの状況である。

半島国家は迷惑以外の何ものでもなかった。

日本だけでなく、アメリカにしても、中国にしても、いかにして半島国家が起こすトラブルに巻き込まれないように、半島からの災いを遠ざけるか。

半島とは一定の距離をおいて、韓民族内部の紛争にできるだけ関与しないようにするのが、もっとも賢明な道であり、半島政治と付き合っていく上での鉄則であると、元中国人で今は日本人となった筆者は考えている。

?まことに宿業深き朝鮮半島?
「例せば震旦・高麗等は天竺についでは仏国なるべし、彼の国国・禅宗・念仏宗になりて蒙古にほろぼされぬ、日本国は彼の二国の弟子なり二国のほろぼされんにあに此の国安穏なるべしや」

元朝に祈るアジアの広布かな

『雲の井に月こそ見んと願いてし 
アジアの民に日(ひかり)をぞ送らん』
?


◎この歳で夏目漱石「吾輩は猫である」
徳川家康をやっと読み終わったので、
久しぶりに純文学。
妻「そげん本読むならもう少し人間革命せんならね」
?


◎厚田村(歌詞)
作詞:山本 伸一
作曲:杉野 泰彦

一、
北海凍る厚田村
吹雪果て無く貧しくも
海辺に銀の家在りき
是ぞ栄(はえ)ある有る我が古城

二、
春夏詩情の厚田川
鰊(にしん)の波は日本海
松前藩主の拓(ひら)きしか
断崖屏風(だんがいびょうぶ)と漁村庭

三、
少年動かず月明かり
伝記と歴史の書を読みて
紅顏可憐に涙有り
正義の心の鼓動楽

四、
痛まし針の白髮に
不正に勝てと厚司(あつし)織る
母の祈りに鳳雛も
虹を求めて天子舞

五、
暖炉に語りし父も又
網を繕ひ笑顔皺(じわ)
権威の風に丈夫(ますらを)は
征けと一言父子の譜(うた)

六、
厚田の故郷(ふるさと)忘れじと
北風包みて美少年
無名の地より世の為に
長途の旅や馬上行
厚田の故郷忘れじと
北風包みて美少年
無名の地より世の爲に
長途の旅や馬上行
長途の旅や馬上行


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

八宗違目抄 p.159
文永九年二月  五十一歳御作 与富木常忍
第九章 止観で初めて一念三千明かす

【本文】
「故に大師・覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の心観の文に 但自他等の観を以て三仮を推せり並びに未だ一念三千具足を云わず

【通解】
止観輔行伝弘決巻五に「故に天台大師は覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観等の諸の観心の法門を述べた文には、但自他等の観を以って、三仮を推し考える方法を明かしてはいるが、ともにまだ一念に三千を具足することを明かしていない。

【解説】
止観以前は一念三千の名目すら明かさず

続いて、摩訶止観を注釈した妙楽大師の止観輔行伝弘決巻五の三の文が引かれている。ここでは、天台大師は摩訶止観以前においては、一念三千の名目すら明かしておらず、一念三千こそ天台が己心に行じた極意に他ならないことが述べられている

天台大師は摩訶止観を明かす前、「覚意三昧・観心食法及び誦経法・小止観」あるいは「観心論」「四念処」など、多くの法門を説いたが、これらには一念三千の名目も、観心修行の方法も説き明かさなかった。

「自他等の観」とは、天台大師が一念三千の観法を明かす以前に、自生心・他生心・共生心・無生心等の観心によって、心性の本体を追及する方法を説いたことをさす。

「三仮」とは因成仮・相続仮・相対仮のことである。

「因成仮」は、一切諸法が因縁によって形成されるので仮とする。「相続仮」は、絶えず相続しているように見える諸法が、実は一瞬ごとに生滅改変しているので仮とする。「相対仮」は、大小・長短などの相対的な判断は、その基準が不定であるから仮とする。

すなわち覚意三昧等の観法を明かした法門のなかには「自他等の観」をもって「三仮」の真性本体を追及する三観・三諦等を明かしていても、いまだ一念に三千を具足することが説かれていない、という意である。





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