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八宗違目抄 p.156
文永九年二月 五十一歳御作 与富木常忍
第六章 真言宗が主張する一念三千
【本文】
毘盧遮那経の疏伝教弘法之を見る第七の下に云く天台の誦経は是れ円頓の数息なりと謂う是れ此の意なり」と。
【通解】
また、伝教大師・天台大師も知っている毘盧遮那経の疏の第七の下巻に「天台宗における誦経は円頓における数息観である」とあるが、これもその意味である。
【解説】
また「毘盧遮那経の疏」とは大日経疏のことである。同書巻7下に「是の故に今耳をして聞かしめ、息出づる時、字出で、入る時、字は、息に随って出入りせしむるなり。今謂く、天台の誦経は、是れ円頓家の数息なり。是れ此の意なり」とある。
すなわち「天台家での誦経は円頓の数息観である」といっているのも、この意である。
数息観とは呼吸の出入りを数えて心の乱れを整える修行法をいう。つまり、天台家で行う誦経は、円頓の数息観というべきものであるとの意。
この大日経疏の文について、日寛上人報恩抄文段で「一行阿闍梨、大日経の疏に天台円家の数息観を引いて彼の経の三落叉の文を釈す。また天台の三徳の義を挙げて菩提心・慈悲慧等の義を成す。また天台の三諦の義を引いて阿字本不生の義に同ず、然れば則ち、その法門の建立しかしながら天台の正義を盗み取り、大日経に入れて理同の義を成ずること歴然たり。故に天台の正義を盗み取るというなり」と述べられている。