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2018.1.12

2018年01月12日 (金) 01:04
2018.1.12

◎F社経営計画発表会

主賓はA元福岡県知事

『仕事のど真ん中に改善を』
改善は身近にある。
ちょっとした工夫

人格を磨く一流の人材を目指そう
『皆さんの成長が会社の成長になる』
一人ひとりの成長が会社の成長に

『切断革命』
夫婦二人から始め今267名
?切れないものは夫婦の仲だけ(笑)

柳川産業発展の牽引役に

1メートル/1億=1ナノメートル

一つの欠陥が全体に波及する

柳川の観光客は年間130万人
柳川のお堀は全部で930km
川下りは4kmくらい

今18代のお殿様(女性)
16代の時に鮒遊びで川下り
9割の財産税で華族崩壊

赤誠を貫き通した立花宗茂
NHK大河ドラマ誘致
1620年に凱旋して2020年で400年

三代家光の家庭教師
奥州に移封
田中吉政
石田三成を捕まえたご褒美で32万石

明治5年火災
(わざと燃やした説も…綺麗さっぱり焼けた)

中国・蘇州のものづくりの大企業は約200社。人件費の高騰でほとんどが撤退?

??御花の庭に『ほんけんぎょう』の跡
「鬼火焚き」
九州地方で、正月七日に行う火祭り。
・・・との事。
これって、九州地方の行事だったとね!?
知らんだったぁ
全国的な行事だとばかり思っておりました。
こちらでは、「ほうけんぎょう」と言います。
漢字でどう書くのかは知らないけれど
・・・たぶん「奉献行」「奉献業」かな?!
正月のしめ縄を持ち寄って、
木や竹で組んだやぐらと一緒に燃やします。


◎「家で待っております」
夕方6時から壮年部家庭訪問
妻「お、ご苦労さんです」
私「苦手な家庭訪問は地区部長と」

地区部長の軽ワゴンに乗ったら、後ろに人の気配が………振り返ったらT副本部長が?
「あ、びっくりした?背後霊かと思った」
?

1件目、王城会壮年部の未入会の息子がちょうど帰ってきたところ。
「あれ、おいくつ?」
「二十歳です。成人式迎えたばかりです」
初めて会ったけど中々の好青年。
これが今日の一番の成果かな?!?

3件目を回った所で急にバッテリー切れ?
あれ〜!! やっぱりこの寒さ。
隣の支部長(オートショップ)が来てくれ応急措置。「あ、罪障消滅させてもろうた?」?

5件回って帰ってきたら、妻と娘、
「お父さん頑張ったね〜」拍手????
「そげんオダテんでいいたい」
「オダテられるの好きでしょうが」
?


◎韓民族が………
外国からの侵略軍を招き入れる最大の理由は、外国勢力を半島内の勢力争いや内輪もめに巻き込んで、その力を利用することにある。実は、古代から現代までの長い歴史の中で、半島内で紛争や覇権争いが起きるたびに、外国勢を自分たちの内紛に巻き込んで、散々に利用するのは、半島国家が多用する常套手段であり、韓民族の不変の習性ともいうべきものであった。

彼らが巻き込もうとする外国は、時には中国であり、時には日本であった。そして中国も日本も、半島の内紛に巻き込まれるたびに、多大な迷惑を被ることとなり、多大な被害を受けたことも多かった。そういう意味では、彼ら韓民族こそ、東アジアの長い歴史の中での迷惑者であり、立派な加害者だったといえるのだ。

今の韓国政府と多くの韓国人は、自分たちの歴史的悪行は棚上げにして、いつまでも、どこまでも被害面で、他国ばかり責め立てている。それはいかにも不公正で理不尽な話であるが、歴史に対する半島民族のこのような偏執的で理不尽な態度が、逆に、日韓関係の根本的解決を妨げ、東アジアの不安定要素を作り出しているのは明らかだ。

『コリアこそ東アジアのトラブルメーカーであり、歴史の加害者だった』
というのが………
綿密な検証によってたどり着いた、最終結論である。

(韓民族こそ歴史の加害者である/石平)

?貪るは愚か?

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

蓮盛抄 p.154 建長七年 三十四歳御作
第11章一字不説への固執を破して結ぶ

【本文】
答う是は常施菩薩の言なり法華経には「菩薩是の法を聞いて疑網(ぎもう)皆已に除く 千二百の羅漢悉く 亦当(まさ)に作仏すべし」と云つて八万の菩薩も千二百の羅漢も悉(ことごと)く 皆列座し聴聞随喜す、 

【通解】
答える。これは常施菩薩の言葉である。法華経には「菩薩はこの法を聞いて、それまで捕えられていた疑いの網をすべて既に除くことができた。千二百の阿羅漢もすべてまた作仏するであろう」といって、八万の菩薩も千二百の阿羅漢もすべて会座に列し聴聞し随喜した。

【解説】
これに対して、大聖人は問者が引用した像法決疑経の言葉は常施菩薩の言葉であると述べられ、その常施菩薩の名は法華経の会座で釈尊の説法を聴聞して随喜して成仏した八万の菩薩の代表の中には記されていないことを指摘され、法華経に列なった常施菩薩が「如来の一句の法を説きたもうを見ず」と言っているのは当然であると答えられている。


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