◎山岡荘八『徳川家康』第一巻あとがき
「新しい哲学によって人間革命がなしとげられ、その革命された人間によって社会や政治や経済が、改められたときにはじめて原子科学は『平和』な次代の人類の文化財に変わってゆく−−」
(聖教12/1師弟凱歌の物語)
ちょうど今24巻を読んでいる最中ですので、感動しました。私も第一巻のあとがきを読んだときから注目していました。
?先生と呼吸が合っている感じ???
◎中国・韓国はやっぱり公明党?
どんなことがあっても、一歩でも二歩でも前に進めさせる?
−−そんな「意志」を感じます。
衆院選の博多駅前で山口代表
「日中韓の相互訪問−−やっとここまで来たんです?これが出来るのが我々公明党と自民党の連立政権なんです?」
ちっちゃくしか扱わない、歪んだ日本のマスコミはやはり「悪人」。ま、悪人も善知識でしょうけど。
業界自体が福運も未来もないようです。
私は税理士業界の福運のために選挙で種を巻き続けます?自分の『二乗』の命を切るために。?
「二乗地に堕して永不成仏の思を成す由見えたり法華已前の論なる事疑無し」
(当世念仏者無間地獄事109ページ)
?「二乗」にはなるなかれ?−−永不成仏?
「あんまり頭ばっかり使っとるとおかしくなる」
妻「お父さんのことやんね」
?
◎所詮誓願と云うは題目弘通の誓願なり
御講聞書846ページ
一四弘誓願応報如理と云う事 仰に云く衆生無辺誓願度は応身なり、煩悩無辺誓願断は報身なり、法門無尽誓願知は智法身なり、無上菩提誓願証は理法身なり、所詮誓願と云うは題目弘通の誓願なり、釈に云く彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なりと是なり云云
?
◎「お、静か!!」
自宅の一階と二階のトイレの換気扇が、もう古くなって音がうるさかったのですが、事務所一階の関与先に来て貰い、新しいのに取り替えてくれました。
「ついでにリビングのドアも見てくれない?」
………
「割り箸ありますか………四角いの……」
………
よく見てたら割り箸を短く割って、古い穴にドリルで押し込み、そこにドアの杭をドリルで埋め込んでいく。
「おーさすがプロ?」
「企業秘密ですよ」
?
◎「今週はジム4回?」
妻「お、頑張るね、長生きせんなんもんね」
「せめて夫婦80歳以上健康でいかんなら」
「そうね、80までいくとよかね?」
妻カーブス週3日一年半
私ホリデイ週3日一年3か月
?
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蓮盛抄 p.151 建長七年 三十四歳御作
第四章「本分の田地」を破し法華の福田を賛す
【本文】
問うて云く本分の田地にもとづくを禅の規模とす、答う本分の田地とは何者ぞや又何れの経に出でたるぞや
【通解】
問うて言う。禅宗では本分の田地に基づくことを禅の手本とする。答える。本文の田地とはどんなものか。またどの経に出ているのか。
【解説】
ここでは禅宗側が本分の田地に基づくことを禅の規模とする主張していることに対して、それは、具体的ということで、いかなる経文によって立てられたものかを反論されてこれを破られるとともに、法華経こそが人天の福田であることを明かされ、法華経を信ずる者の功徳の大きさを述べられている。
まず、禅宗側の言い分として、禅の規模としていること、すなわち禅が模範や手本として面目ともしているのは本文の田地に基づくことにあると言っていることを挙げられている。本抄では「本文の田地とは何者ぞや」と問い返され、その答えは明かされていないが、禅宗側の主張によると、本分の田地という“本分”とは本来の分際の意味で、人間が生まれながらに仏性をそなえているという本来のすがたをいい“田地”とは境地のことをいうとしている。すなわち、坐禅によってもともと人間が本来具えている仏性の境地に安住することが禅宗の規範であるというのが彼らの言い分である。
ここで大聖人が、本来の田地というのが、いったいその言葉自体、何者で、どの経典に出てくる言葉であるかと反論されているのは、もとより、そうした彼らの主張を御存知のうえで、その言葉そのものが何の根拠もない禅宗の勝手な造語であることを示されて破折される意が込められていると拝される。