Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

2016.12.11

2016年12月22日 (木) 01:47
2016.12.11

已:爾前経、今:無量義経、当:涅槃経
ーー法華経は最第一
※師弟の本迹?に皆久遠なり

法華真言勝劣事
『慈覚・智証が祖師の義に背くを明かす』
126ページ


『証拠経文に有りや』
◎問うて云く天台妙楽の已今当の宗義証拠経文に有りや、
<通解>
問うていう。天台大師や妙楽大師の立てた、已今当の三説の中に法華経より勝れた経はないという宗義は、その証拠は経文にあるのか。

『最も為れ難信難解なり』
◎答えて云く之れ有り法華経法師品に云く「我が所説の経典は無量千万億已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為れ難信難解なり」等と云云、
<通解>
答えていう。法華経法師品第十に「私が説くところの経典は無量千万億あり、既に説いたもの、いま説いているもの、まさに説こうとしているものがあるが、その中でこの法華経が最も難信難解である」等と説かれている。

『法華経は最第一』
◎此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり、
<通解>
この経文のとおりであれば、五十余年にわたって釈尊が説いたところの一切経の中で法華経は最第一である。

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

<解説>
已・今・当の三説とは、法華経法師品第10に、釈尊が、「已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と述べたことをいい、

天台大師が法華文句で「今初めに已と言うは、大品已上の漸頓の所説なり。今とは同一の座席にして、無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈しているように、「已に説き」とは爾前の40余年に説かれた経々、「今説き」とは無量義経、「当に説かん」とは法華経のあとに説かれた涅槃経をいった。

この三説に超過した最高の経が法華経であるということである。

これを承けて天台大師は、法華文句で、「今の法華は、法を論ずれば一切の差別融通して一法に帰入し、人を論ずれば則ち師弟の本迹?に皆久遠なり。

二門悉く昔と反す。信じ難く解し難し」と述べ、妙楽大師も、文句記の中で「三時の法華に及ばざることを明かす。

故に法華の人法を以って永く衆経に異なれり」等と述べている。

ゆえに、大日経のほうが法華経に勝れているなどという者は、この天台大師・妙楽大師の宗義を破り、祖師に違背する師敵対の者となるのである。

已:爾前経、今:無量義経、当:涅槃経
ーー法華経は最第一
※師弟の本迹?に皆久遠なり

??????????????????

今日は
午前中…税務調査、
昼から…税法研修、
夜…送別会!
明日はまた…忘年会!?


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: