壮年部は『電信柱』??
問うて云く阿含経の後に何(いずれ)の経を説き給うや、答えて云く方等経(ほうどうきょう)なり、問うて云く何を以て之を知るや、答えて云く無量義経に云く「初に四諦(したい)を説き乃至・次に方等十二部経を説く」涅槃経に云く「修多羅(しゅたら)より方等を出す」
問うて云く方等とは天竺の語・此(ここ)には大乗と云う華厳・般若・法華・涅槃等は皆方等なり何ぞ独り方等部に限り方等の名を立つるや、答えて云く実には華厳・般若・法華等皆方等なり然りと雖も今方等部に於て別して方等の名を立つることは私の義に非ず無量義経・涅槃経(ねはんぎょう)の文に顕然(けんねん)たり、阿含(あごん)の証果は一向小乗なり次に大乗を説く方等より已後皆大乗と云うと雖も大乗の始なるが故に初に従つて方等部を方等と云うなり、例せば十八界の十半は色なりと雖も初に従つて色境の名を立つるが如し。
(すなわち、阿含経に示された修行を因として証得する悟りの果はどこまでも自分だけの悟りに執着し、広大な衆生を救うことを忘れた“小乗”にすぎない。
そこから一歩開いて、自分の悟りだけでなく広大な衆生をも救っていく大乗が続くのであるが、小乗の直後に大乗の初めをとくに方等と名づけて方等部としたのであり、それは18界のうち10界半で、あとの7界半は心法であるが、全部ひっくるめて「色境」と呼ぶのと同じである、と答えられている。)
問うて云く方等部の諸経の後に何の経を説き給うや、答えて云く般若経なり、問うて云く何を以て之を知るや答えて云く涅槃経に云く「方等より般若を出す」
(守護国家論39ページ)
※方等経(ほうどうきょう)とは、大乗仏教の経典を総称していう語である。方等経典などともいう。
※十二部経 (じゅうにぶきょう、サンスクリット語: dvādaśā?gadharmapravacana)とは、仏(ぶつ)所説・如来(によらい)所説の教法を内容・形式によって分類したもの。伝承により多少の異同がある。十二分教(じゅうにぶんきょう)、十二分聖教(じゅうにぶんしょうぎょう)とも。
(1)修多羅(しゅたら、sūtra、経) :教説を直接散文で述べたもの
(2)祇夜(ぎや、geya、重頌(じゅうじゅ)): 散文の教説の内容を韻文で重説したもの
(3)記別(きべつ、vyākara?a、授記): 仏弟子の未来について証言を述べたもの
(4)伽陀(かだ、gāthā、偈): 最初から独立して韻文で述べたもの
(5)優陀那(うだな、udāna、自説経): 質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの
(6)如是語(にょぜご、ityuktaka または本事(ほんじ) itivr?ttaka): 仏弟子の過去世の行為を述べたもの
(7)本生(ほんじょう、jātaka): 仏の過去世の修行を述べたもの
(8)方広(ほうこう、vaipulya、パーリ語: vedalla): 広く深い意味を述べたもの
(9)未曾有法(みぞうほう、adbhutadharma): 仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの
(10)尼陀那(にだな、nidāna、因縁): 経や律の由来を述べたもの
(11)阿婆陀那(あばだな、avadāna、譬喩(ひゆ)): 教説を譬喩で述べたもの
(12)優婆提舎(うばだいしゃ、upadeśa、論議): 教説を解説したもの
天竺(てんじく)とは、インドの旧名。ただし、現在のインドと正確に一致するわけではない。
中国人がインドに関する知識を得たのは、張騫の中央アジア(後年の用語で言う西域)探検によってであった。司馬遷の『史記』では、インドを身毒(しんどく)の名で記している(大宛列伝、西南夷列伝)。天竺の名は『後漢書』に見える(西域伝「天竺国、一名身毒、在月氏之東南数千里」)。また天篤という字も使われた。
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今日の支部地区部長婦人部長会で副圏長
「壮年部は婦人部から何と言われているかご存じです?壮年部は『黄金柱』でなく、……『電信柱』と言われているんですよ」
(爆)
写真は68歳壮年の新入会者を交えての、 9月度のブロック座談会です。
明日からまた二泊三日で東京出張です。?