◎虚実の雲
一
「官兵衛‥……」
「あれが思い出の街道でござりまするな」
「街道などはどうでもよい。どうじゃ、勝家は、やはり、家康のもとへ、しげしげ使者を送っているであろう」
「ここから見ると、街道を通る人が豆のように小さく見えます」
「家康は豆ではない。わしは小さく見すぎていると言うのだな」
「まあ、そのようなもので」
「よし、来いッ」
「ふーん。これは北条氏直と家康、それに上杉景勝の入りみだれた対陣図か‥……」
「この分では、北条め、家康に和睦を申し込むな」
官兵衛はゆっくりと体を起こして、
「大敵でござりまするな。万一、徳川どのと修理どのに手を握られては」
まるで他人ごとのように言って、また曖昧な微笑をうかべた。
二
「官兵衛」
「はい」
「家康めの、このたびの成功のもとは何であろうな」
「されば‥……四万三千の、北条の大軍を向こうにまわし、何度か危機に遭いながら、思いのままに甲斐全部と信濃の一部を手に入れる。これのもとは、堪忍の二字でござりまするな」
「なに、堪忍だと」
秀吉はちょっと首をかしげて、
「すると、わしのは何だ」
「されば、これは智略の二字」
「ふーん、二字と二字か」
「修理どのと徳川どの、それに、滝川一益と信孝さまが連合し、さらに北条氏政、氏直の力が加わったら、これは、少々大きくなりすぎまするでなあ」
人を喰った表情で黒田官兵衛がそう言うと、今度は秀吉がニヤリとした。
三
「では‥……こうしよう」と、秀吉は言った。
「まずまっ先に、勝家を“なに”してな。それから、信雄か信孝か、とにかく禍根になりそうな一方を“なに”して小田原征伐をやらせよう。四国、九州の鎮定はそのあとでもよかろうでな、なあ官兵衛」
「さあ、一向に分りかねます。“なに”するとは何のことやら」
「ハハ‥……、では、さっそく堺に参って豪商どもを“なに”して来い。‥……」
「と、仰せられると、官兵衛は人のよくない男のようでござりまする」
「そうじゃな。まず敵に廻したら、酢でも味噌でも喰えぬ奴だ。そうそう、それから、戻りに、大坂へ廻っての、淀屋常安に、望みどおり米相場はやってもよいと言ってこい。いずれ、大坂に、右府さまご遺志を継いでこのわしが日本一の城を打ち建ててやる。堺と並んで大繁昌疑いなしと申しておけ」