◎葵の陣立て
「ハハ‥……」と家康は笑い出した。
「戦というはな、相手の人柄を見ねばならぬ」
「なに、茶屋が戻ったか。すぐにこれへ」
「これでわしの動きも決まろう。いや、退屈なことであった」
「光秀の哀れな話はそれでよい。わしは今まで右府の方が光秀よりも短気だと思うていたが逆であった。光秀の方がよほど短慮‥……して羽柴筑前はそれから何としたぞ」
「はい。十五日夕刻、紅蓮の焔は天をこがし、さしもの七層の名城も‥……」
「なに明智勢ではないと」
「はい。これを命じたは、清州の中将信雄さまの由でござりまする」
(いったいこれは、何と言う暴挙であろうか‥……?)
「よかった。光秀が討たれてのう。これでわれらも兵を返し、東の固めに専念できるというものじゃ。したが、うわべはどこまでも、安土城まで行けなんだが無念であったとせねばならぬぞ」
(これで万事が思う壺であった‥……)
‥……本多作左衛門が色をなして抗議した。
「これはおかしなことを仰せられる。お館には、いつから筑前がご家来になられたので」
「総じて戦国では虚名を捨てて、実を採らねばなりませぬ。これで安土まで兵をすすめて見たとて、羽柴どのと衝突のおそれこそあれ、得るところはござりませぬ。それよりも退いて東に向かえば、甲、信の地には、主なき土地がたくさんできておりまする」
「‥……わしはな、筑前が家臣ではないゆえ、彼の方から上方のこと、すべて解決したと言い送られては、のちのちまで後ろ楯をせねばならぬ義理はない。東をしっかり固めてあれば、たとえ誰が天下になろうと、われらはわれらの趣意が通せる。よいか十九日じゃぞ」
「事を好んではならぬという事じゃ。無理して取った天下は続かぬ。何ごとも堪忍しての、一人でも多く生かすが武の道、それゆえこなた筑前がもとへ参って、賀詞をのべよ。それが必ずあとあとの為めになろうでな」
ここで近畿の平定をなし遂げなければならない秀吉に、東方のことだけでも疑心暗鬼の想いをさせまいとする家康の心遣い‥……と受け取った。
「まだこれからも戦は続こうが、あせらぬことじゃな、浮世のことは」
「武将ゆえ、それもこれも、当然のことと思うは当たらぬぞ。親じゃ‥……子じゃ‥……無事に、仕合わせに‥……と願う一面のあるを見落としてはならぬのじゃ、よいか。わしは愚痴を話しているのではない。正しく勝つ道の思案を話しているのじゃ」
「平八、わしはな、秀吉にも、柴田にも勝つために兵を引いたのじゃ」
「そのときには、わしは再び、右府に対したと同じように、羽柴であれ、柴田であれ、頭を下げて接してゆこう」
「まあよい。わしはつとめて彼らに負けぬよう、内を整えておけばよいのじゃ。内さえ整えておれば、必ず大きなまことの流れを味方にできよう。それが力じゃ!この力を味方に持たずに動いたところに光秀の惨めな末路があったと悟った」
「退いてしっかりと固めておく!」
「この訓えを忘れてはならぬぞ。かつて信玄はわれらに武略を訓え、今また光秀は政略をおしえていった。世が安穏に治まるとき、恣意にまかせて兵を動かすは邪道じゃと‥……」
「いつも、これからも‥……大ぜいの者の味方が勝つ‥……大ぜいの願いの和が、つねに正しく、つねに力になってゆくのじゃ」
秀吉は近畿で。
家康は甲、信で。
信長は亡くなったが、今の家康は、信長以上の威力を持った新しく支える主君を見出している。
ほかでもない。眼に見えて見えない歴史の流れの法則であった。