◎堺の入札
というのは、この自由都市に、はじめて君臨して来た織田信長が明智光秀のために倒され、光秀はそのまま信長の既得権を行使しようとして、次々に使者を送りこんで来ていたからであった。
波太郎の蕉庵は、昔ながらの冷たく澄んだ表情ですわりながら、
「堺の町人どもは、うわべはとにかく肚の中では、天下人など自由に作れるものと思うておるからの。いや、天下人とは、みんなのための大番頭のことと思うている。そして、それはまた、神道をきわめた者の眼から見れば、しごく道理にかのうたことじゃが‥……」
「よろしいかな。最初の一票は‥……高山右近長房とある。ははあ、これはデウス組じゃな」
「それはのう、信長どのが、堺を侵略したと怨んでいる向きの考え方じゃ。次は‥……惟任(これとう)日向守光秀、やっぱり明智じゃ」
「次は‥……ははあ、これは妙なざれ歌じゃ。なに‥……焼きつけて、唸らぬ小田に風すさび、いずこも同じ夕暮れ‥……誰が取っても同じものなりと書いてある」
「唸らぬ織田‥……でござりましょうかな」
「いや、唸って一度は収穫した‥……さて、次は、徳川三河守家康」
蕉庵はまた言下に首を振った。
「光秀が、細川父子を味方すると、これもすでに七票、それに細井順慶が一票を加えれば八票となる。この数字はふしぎなものでの、それがそのまま力に変わり勝敗を決するものになってゆく。かりに、徳川どのに一票ある。これが織田一族の七票と合すればこれも八票」
茶屋「すると、ここは羽柴の器量次第か」
木の実「いいえ、やはり徳川さまをお味方にせねばなりませぬ。というより、徳川さまがお味方しているうちに、光秀を倒さなければ、羽柴さまの天下は来ず、かえって世は再び戦国となりましょう。これは戦国になる‥……と踏んだのが、この戯れ歌の一、宗易おじさまの二、高山さまの二、筒井さまの一などにまざまざと現れておりまする」
それにしても蕉庵の、家康への好意はいったいどこから生まれてくるのだろうか?
何でも、竹之内波太郎と言っていたころの蕉庵に、於国という妹があり、その於国と、これも長島の戦のおり、信長に切腹を命ぜられて果てた水野下野守信元との間に一女がうまれ、その子供が木の実なのだという。
「ホホ‥……」と木の実は笑った。
「あたしは、嘘つく術も知らない田舎者ならみんな好きです。正直の淵はとても深い! 何が出て来るかわかりません。嘘は、すぐに底が見えて浅間しいゆえ‥……」
「なるほど‥……」