Contents
RSS 2.0

ブログ blog page

地上の睡蓮

2016年02月13日 (土) 20:40
地上の睡蓮

◎地上の睡蓮
大声で笑ってやる気の御前であった。
「ーー肉親の兄弟を斬り、婿を斬らせ、家臣を追った猜疑の果てが、そのご最期でござりまするか」

「たわけめ」
「生死は一如、無駄ごと言わずと控えておれッ」

(夫婦だった)
いちど闘争の場にのぞむと、文字どおり生死を越えて闘うことしか念頭にないこの偉大な猛獣を、ついに誰の手にも渡さなかったのだ……
「殿! そろそろご用意なされませ」

(わが良人……この闘いなれた荒獅子が……)
濃御前は死ぬまでは闘うであろう信長の仕事が、すでに終ったのをはっきりと感じとった。

(わらわは、その破壊者の妻であった)

「たッ!」と作兵衛が槍をくり出すのと、御前の薙刀がうなりを生じて円を描くのとが一緒であった。

下腹部から脾腹へかけて、ジーンと熱鉄を突きこまれたような熱さを覚え、もう一歩踏み込もうとした足がガクンと折れて膝をついた。

御前はその眼と視線のあったとき、自分の生涯は不幸ではなかったのだと思い、それから自分を突き伏せた作兵衛が、なぜ信長に襲いかからないのかとふしぎに思った。

さすれば無力な現実主義の公卿どもは、有無なく光秀に従って宮中へ取りなし、彼の頭上に新しく武将の棟梁としての官位を奏請してくれるに違いない。それがなければ彼は一個の主殺しをあえてした陪臣にすぎないのだ。

そう言えば人間すべてが、何ものかにあやつられて、はかない躍りを踊りつづけてゆく人形だったという気もする。
(そのくせ、どこまでも生きて踊りたいのはなぜであろう?)

「ーー生きたい! もうしばらく生きたい!」
「もう二年だけ! そうしたら必ず日本を平定してみせてやる! いや、二年が無理ならば一年でもよい。一年が無理なら一月でもよい。一月あれば、おれは中国を平定できる男なのだ。いや、一月が無理ならばあと十日、五日、三日、ああ‥……」

「人生とはこうしたものぞ」

しだいに夜があけ放たれて来たせいであろう。芝生の青さがそのまま水面にうかんだ浮草に見え、屍体はいよいよあざやかな睡蓮の花に見えた。


トラックバック

トラックバックURI:

コメント

名前: 

ホームページ:

コメント:

画像認証: