◎大地の塩
今川家の城代の捨てていったこの城を、家康が拾ったときは、三河の四分の一も自由にならない松平家のどん底時代であった。
すでに五十五歳になっている於大の方は、訪れた家康を見ると、はるかに座をすべって、戦勝の祝いをのべた。
「ついに三国の太守になられましたなあ。あめでとう存じまする」
「おふくろさま、どうぞ体のご不自由なところはござりませぬか」
「もったいない。ただお館さまの姿を見ると、思わず祖母の華陽院さまを思い出しましてなあ」
「お館さま」
「なんじゃ、おふくろどの、話す間、手をおやすみなされ。親に煽がれているというのは心苦しいものじゃ」
「右府さまと、決してお争いなさりまするな」
「右府さまは必ず、お館さまに、中国へご出陣なさるよう仰せられましょうな」
「それとお分りなされたら、すすんで兵を出そうと申し出でられてはいかがなものかと……この婆は、そのようなことをあれこれ思うておりました」
「なるほど、こっちから……」
(母とは、何とよいものであろうか)と、ジーンと心が熱くなった。
(愛情はまたつねに偉大な戦略でもあるらしい)
「ばばは、お館さまが無思慮に争われるお方とは思うておりませぬ。が、いまの右府さま、いったん口を開かれたら、たとえそれが誤りだったとお悟りなされても、決して後へは引かれぬお方になられました。それを心に刻まれて、先手、先手と、ご用心願わしゅう存じまする」
「かたじけない!」
家康は思わず母の手をとって、そのままそれを自分の額につけていった。
「これで心がはっきり決まった。いや、よい餞(はなむ)けを貰いました」
家康にとっては、今こそ武田の遺領を固め、東の不安をのぞくが第一
再び於大の方……
「いかがなものでござりましょう。その筑前守さまのおんもとまで、お館さまからすすんでご使者をお出しになされては」
「ーーわれらにも、中国出陣のことをお許し下さるよう」
そうなれば秀吉はよほどの苦戦でない以上、おそらく出陣無用と言って来るに違いない。家康に出て行かれて勝ったとあっては、秀吉自身の手柄は半減する。
(男ではできぬ思案……)
「松丸……」
「はッ」
「わしはある日癇を立ててその年上の元忠を折檻し、祖母の華陽院に叱られたのを覚えている……そのころの家康は、その方の祖父、忠吉の仕送りで辛うじて駿府で生きていたのだからの……」
「わしはの、この城の土を口にふくんでみたら塩辛かろうと思うておる。代々の、家臣と主君が、悲しいにつけ、流しつづけて来た涙でのう……よいか、その大地の塩をしっかりと味わい直して、わしは安土へ発ちたいのじゃ……」
家康は、信長の心の規模が、遠心の輪をひろげるほど、わが身自身は求心をめざすべきだと思っていた。
外へ向かう心と、内へ向かう心とでは、決して触れ合う恐れはない。が、もし同じ方向をめざしたら、必ず不幸な衝突が起こってゆくに違いなかった。
信長がいかにして天下を平定しようかと心を労しているときに、家康はわが誕生の土ににじんだ涙の味をかみしめる……
したがって、五月十二日、家康の行列が西に向かって発つときには、岡崎中の寺院はどこもかしこも読経の声であふれていた。
その昔、駿、遠、三の太守だった今川義元が、みずから御所と呼ばせ、額につけ眉をし、歯をそめて権勢を示したのに引きかえ、これはあまりに素朴な、慎みぶかい姿であった。
「よいか。家康が家中は、大身になって思いあがったと評判されるな。万事控え目に。よいか」
「日向守どの、これはわれらに過ぎた結構、お役目とはいえ、ご心労のほどお察し申す」
言いながら心の中では、いっそう警戒をきびしくしていった。
光秀はそれを全く違った感慨で受け取った。
(わが苦心を、素直に喜んでくれている……)