◎落花の匂い
(父はすでに自害した!)
それに何よりも長政をおどろかせたのは、長女茶々姫の言葉だったと言える。
「……まだ討ち死にしなかったの?」
(こやつをどこで叩っ斬ろうか)
(時勢は移った……)と、しみじみ感じた。
意地に死に、意地に生きるいかつい武人の常識に、八方破れの信長や秀吉の生き方が取って代わりつつあった。
しかもその中には、顰蹙(ひんしゅく)すべき非人道さと、思いがけない人情とが、あやしい度合いで交錯している。
「その後の指図を誰がしたのだ」
「それがしと羽柴どのでござる」
長政は、もう一度低くうめいた。
このときほど、信長と、そしてその腹心の緊密さを羨ましく感じたことはなかった。
長政はゆっくりと刀をぬいた。
「二十九年の生涯、夢のまた夢……」
「さらば……」
「心おきなく」
信長「うぬは、強い女だッ!」
お市「いいえ、何の力もない弱い女でございます」
「それ……その、弱さが強いのだ。弱い奴が強いということはたまらなく腹の立つものだ」
「お市、なぜ黙っているのだ。長政のもとへ行けたら苦情はあるまい」
(良人の愛情にこたえて、自分も死のう)
信長が考えていたよりも、はるかに器は小さかったと軽蔑もし、落胆もしているのだが、さて、その長政が、どうしてお市をあのようにしっかりと掴んでいったのか……?
お市の方が、今日のことなどさらりと忘れて、自分のそばに自分の妻として侍っている幻だった。
(もしそうなる運命だったら、わが家の女房お寧々はいったいどうなろうか?)