教条主義の石川に私は似てる!注意しよう。
私の上海も、独立開業20周年記念の北海道交流での「厚田村」(H24.5.12)より始まった!
(^^)/
◎涼風
私は、この小説で、人間の究極的な真実は、広宣流布の尊い使命をもった仏子であることを、画こうとしたんだよ。巌さんは架空の存在だが、巌さんが獄中で会得した境地は、私の心そのままだよ。
「私の人生は、ここから始まったんだよ。厚田を出てから、もう三十年になろうとしている……」
◎宣言
「伸一、また、君の朝の授業を始めよう。将来のために、私は、もっと多くのことを教えておかなければならないと思っている。君を、世界一流の大指導者に育て上げるのが、私の責任だからな」
◎憂愁
自分が机上で組み立てた観念の世界に、こもりがちな石川は、自己の観念の尺度で、人も、現実も、裁断していくきらいがあった。……仏法を偏狭な自分の考えでとらえ、それを絶対視する……恐るべき教条主義に陥りかねない。……現実が自分の思うに任せぬとなれば、最後は、すべてを周囲のせいに……自分の観念の殻にこもる人間の落とし穴もある。
……自分の殻を砕くことである。……一切をかなぐり捨て……真剣勝負の戦場が必要となる。
◎後継
滝本欣也は、福岡県大牟田の出身である。
……
「戸田先生の事業の問題は、折伏の邪魔になるんだよ」
……
「山本は退転だよ。また欠席だ。仕事という魔に負けているんだ!」
……
諸葛孔明が、五丈原の戦いで、四輪の車に乗って指揮を執った故事を思ってのことであった。
◎寂光
先生亡き後は、さまざまな圧力が学会にかかり、あらゆる魔が競い起こってくることでありましょう。
◎新・黎明
広宣流布の大指導者・戸田城聖を亡くした、同志の悲しみは癒えなかった。
しかも、それを嘲笑うかのように、一部のマスコミは、創価学会への猛攻撃を開始したのである。
自らの権威づけのために、戸田と自分の絆を盛んに吹聴しはするが、戸田の精神を伝えることも、その指導を実践することもなく、わがまま放題になっていく幹部を見ると、伸一の胸は痛んだ。
「戸田先生は、会長就任を避けていた間に、誤った宗教がはびこってしまったと、深く反省しておられましたが、山本先生が辞退されている限り、広宣流布は遅れてしまいます。それでよろしいのでしょうか!」
伸一は、答えに窮した。万事休すであった。
◎あとがき
しかし、この不世出の仏法指導者が、世間に正しく理解されることはなかった。むしろ、誤解と中傷のなかで、生涯を終えられたといってよい。