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南昌蜂起

2015年06月22日 (月) 09:57
南昌蜂起

南昌蜂起【なんしょうほうき】

中国共産党の指導による初の武装蜂起事件。八・一起義とも。国共分離で武漢政府から退いた中共は1927年8月1日江西省南昌を攻略し,革命委員会を組織したが,国民党軍の包囲攻撃を受け占領5日で広州に撤退。

中国共産党が1927年に江西省南昌で敢行した軍隊暴動。〈八・一南昌起義〉ともいう。労農運動にささえられて順調に進展するかにみえた北伐は,蔣介石の四・一二クーデタ,汪兆銘の七・一五反革命化で決定的な危機をむかえた。中国共産党は労働者,農民,軍隊の暴動による勢力回復の方針を決定し,8月1日,南昌駐屯の葉挺,賀竜,朱徳ら党員掌握下の軍隊3万が蜂起した。指導部は周恩来,譚平山ら。蜂起には国民党旗をかかげ,革命政府構想には宋慶齢ら国民党左派をも含んでいた。

☆廖仲愷?りょう-ちゅうがい1877−1925 中国の革命家,政治家。
光緒3年3月10日サンフランシスコ生まれ。何香凝(か-こうぎょう)の夫。廖承志(しょうし)の父。日本に留学し早大でまなぶ。孫文とであい,中国同盟会の結成に参加。第二革命失敗で日本に亡命。1920年帰国して広東省長,国民党農民部長などをつとめたが,1925年8月20日国民党右派に暗殺された。49歳。

☆廖承志
りょうしょうし / リヤオチョンチー
(1908―1983)中国の政治家。廖仲(りょうちゅうがい)と何香凝(かこうぎょう)(女性運動指導者)の息子として東京に生まれる。1925年中国共産党入党。嶺南大学卒業、早稲田(わせだ)大学を1928年(昭和3)中退、ヨーロッパ留学から1932年帰国して逮捕される。釈放後、江西ソビエトに入り、1934年長征に参加、1935年延安で出版局長を務めた。日中戦争中は香港(ホンコン)を中心に活躍。1942〜1946年香港で国民党により投獄されていたが、人民共和国成立後は共産党幹部(1956年中央委員など)となり、とくに華僑(かきょう)問題、統一戦線活動を指導。1962年高碕達之助(たかさきたつのすけ)との間に「LT貿易覚書」を締結。1964年以降、中日友好協会会長であった。


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