家康はなぜ、秀忠を後継者にしたのか
〜一族を繁栄に導く事業承継の叡智
◎はじめに
中国『十八史略』
『創業を守成と何れか難き』
【第一章】
先代の業績を堅実に
受け継いだ後継者
◎徳川家康ー秀忠
一つの「家」が約300年、……古代の天皇家、中世の藤原家、近世の徳川家。
家康
「昔より、諫臣を注の第一とす。然るに今、太田にあたふる禄、賞に中(あた)らざるや」
◎黒田官兵衛ー長政
軍議の前に長政が、福島正則への根回しを行わなければ、東軍勝利=徳川幕府の創業はなかったに違いない。
心違いをして、無理にいげんのあるように揺る舞うのも、かえって大きな害となる。
◎前田利家ー利長ー利常
芳春院=年長の実母(利家の正室)
「そなたの器量では、家康どのには勝てぬ」
◎藤原鎌足ー不比等
「売り家と唐様で書く三代目」
「三代目が安定すれば、それでいい」
逆境に耐えて活路を見出す
◎九鬼嘉隆ー守隆
成功体験に拘った父と
時勢をみきわめた息子
逃亡から巻きかえす
“鉄の船”を造る
凡庸の子、偉大な父と戦う
「家康を討つ」
「しかたがないのオ」
「帰順されますようにーー」
「もはやこれまで」
「九鬼水軍恐るべし」
◎細川忠興ー忠利ー光尚
「いったいわしを、何歳とお思いか……」
「八年の蓄えは心安く候ふべし」
むかしから、ときの権力者と縁を結んで良かった、という例は稀でしかない。それならば、気心のよく知れた相手で、なおかつ、金のかからぬのが上々というものだ。
「君臨すれども、統治せず」
器量をもった名君か、一切の口出しをしない“うつけ”か
が、任せ切りにはしていない。
祖父忠興・八代の取扱いであった。
光尚はそれより早く細川家の重臣らと密書を交わしながら、隠密裡に……