「南京着いたら喋ったらダメよ」。上海ー南京は新幹線で1時間半。ちょうど博多ー鹿児島と同じ。
南京理工大学を見学し、長江大橋をタクシーで往復渡り、池田先生の日中友好の戦いを偲んできました。こんな経験が出切るのも日頃の交流の功徳だと思います。
中国に来ている元税理士との三国志談義から長江の話になり、そこから南京、長江大橋、南京理工大学、池田先生への名誉教授授与へと繋がりました。素晴らしい縁が広がります。益々目に見えない努力を続けていきたいと思います。
−2014年10月24日付聖教新聞より−
中国・南京理工大学から、創価大学創立者の池田名誉会長に「名誉教授」称号が贈られた。長年にわたる日中友好と世界平和への貢献を讃えたもの。授与式は17日午前、江蘇省の省都・南京に立つ南京理工大学の学術交流センターで行われ、……池田名誉会長は謝辞と真心の漢詩を寄せた。
一、本日、私は、大中国の科学技術を誇り高くリードされゆく名門、貴・南京理工大学から、最上の栄誉を賜りました。
「以人為本、厚徳博学」(人をもって本となし、徳厚き博学の人たれ)との高邁(こうまい)なる建学の精神を、深く生命に刻みつつ、貴大学の名誉ある一員とさせていただきます。
王暁鋒学長をはじめ、諸先生方の御厚情に、心より御礼を申し上げます。誠に誠にありがとうございました。
王者の風格の大河・長江と共に、悠久の歴史の絵巻を綴(つづ)ってこられた佳麗なる古都・南京を、高名な歴史学者の朱偰(しゅ せつ)先生は讃えられました。
――文学は盛んに人物も優れ、山河は秀麗にして気象も雄壮偉大なり。しかも民族と難儀を共にし、喜びと憂いを分かち合う親しさにおいて、第一の都なり、と。
この天下一なる人材の都・南京において、仰ぎ見る英知と人格の指導者を育成し続けてこられたのが、人間王者の最高学府たる貴大学であります。
一、36年前(1978年)の秋、南京に第一歩をしるした折、各界の皆様方に、ひときわ冴えわたる月天子と共に熱烈歓迎していただいたことが、昨日のように思い起こされます。
天も、地も、人の心も美しき、世界に燦(さん)たる、この民衆の宝土を、日本軍の蛮行がどれほど蹂躙(じゅうりん)してしまったことか。
私たちは、雨花台(うかだい)の烈士陵園を訪れ、新中国建設のために命を賭して戦われた先人方、そして、日中戦争の犠牲となられた数多くの方々に、懇(ねんご)ろに追善の祈りを捧げさせていただきました。
わが創価教育は、日本を暴走させた国家主義、軍国主義の教育に真っ向から対峙(たいじ)して、「人間主義」「平和主義」の価値を想像する教育を貫き通してまいりました。
創始者である牧口常三郎先生と戸田城聖先生の師弟は、軍部政府に投獄され、牧口先生は獄死しております。
生きて出獄した戸田先生と共に、私たち弟子は、生命尊厳を信念とする若き世界市民を育成し、平和と文化と教育の連帯を広げゆくことこそ、残酷な戦争の悲劇を転換する王道なりと定めて、数多(あまた)の圧迫を恐れずに、行動を重ねてまいりました。
貴国の皆様方と共々に、留学生の往来をはじめ、両国の青年交流の「金の橋」を、大きく築くことができました。
この橋は、いかなる時代の激流にも断じて揺らぐことはないと確信しております。
一、英明なリーダーシップを発揮される王学長は、学生たちに対して、期待を込めて、温かく呼び掛けておられます。
――天高く聳(そび)える大樹の如く、順境と逆境とを問わず、栄誉と恥辱に動ぜず、力強い姿を保ち、頭の天辺の真っ青な空と白い雲を黙々と注視することができるようになるのだ。
そして、艶(つや)を競って咲き誇る二月蘭の如く、チャンスとチャレンジとを問わず、いつもと変わらぬ優雅な態度を保ち、足元の肥沃な大地に深く根を下ろすことができるようになろう――と。
何と素晴らしき青春の指針でありましょうか。
今、世界はますます烈風の吹き荒れる乱世であるからこそ、教育の拡充と深化と交流によって、私たちは、若き生命に、何ものにも負けない勇気を薫発してまいりたい。
そして、いかなる危機をも打開する智慧を磨き、あらゆる差異を乗り越えていく友誼(ゆうぎ)の心を育んでいきたいと思うのであります。