プラトン著(岩波文庫)
ソクラテス(前469-399年)70歳
プラトン(前427-347年)28歳
アリストテレス(前384-322年)15歳
◎ソクラテスの弁明
「人間達よ、汝らのうち最大の賢者は、例えばソクラテスの如く、自分の智慧は、実際何の価値もないものと悟った者である」
アテナイ人諸君、かくの如き風説をひろめた人達こそ実に恐れざるべからざる弾劾者である。
しかも彼らは一人も私を弁護してくれる者のない欠席裁判において私を弾劾したのである。
私に対して現われた弾劾者には二種類あって、一は今私を告発せるものであり、他は既述せる如く古くからの者であることを認められたい。
「ソクラテスは不正を行い、また無益なことに従事する、彼は地下ならびに天上の事象を探究し、悪事を曲げて善事となし、かつ他人にもこれらの事を教授するが故に」
「ソクラテスとかいう不都合きわまる男がある、彼は青年を腐敗させる者である」
「ソクラテスは罪を犯す者である、彼は青年を腐敗せしめかつ国家の信ずる神々を信ぜずして他の新しき神霊を信ずるが故に」
「ソクラテスよ、君はここを立退いてから、沈黙して静かな生活を送ることは出来ないのか」
最も立派で最も容易なのは、他を圧伏することではなくて、出来得るかぎり善くなるように自ら心掛けることである。
しかしもう去るべき時が来たーー私は死ぬために、諸君は行きながらえるために。もっとも我ら両者のうちいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がない。
◎クリトン
(一名、市民の義務)
ソクラテス
それじゃあ、例えば次の場合について僕達の主張はどうだったろう。いったい運動術を練習してこれをその本職とする人は、あらゆる人の賞賛や非難や意見に重きを置くだろうか、それともただ一人の人の、すなわちその医者とかその体育教師とかいう者の意見ばかりを重んずるだろうか。
クリトン
ただ一人の人のだけだ。
ソクラテス
また善く生きることと美しく生きることと正しく生きることとは同じだということ、これにも変わりがないか、それともあるのか。
クリトン
変わりはない。
◎解説
プラトンはただ自分の記憶にたよるより外なかったのであるが、彼はまた必ずしも速記者の如く言葉通りの忠実なる再現を志したのでもないことは想察に難くない。
高遠深奥なる神霊と最高度の芸術的天稟とを兼ね備えたる最大の弟子プラトンは、その師の偉大なる人格と精神との本質を完全に理解し尊重しかつ表現し得たに違いない。
「万事の尺度は人間である」
時の保守的な愛国者らから危険視せられたのはけだし当然のことというべきである。……ソクラテスは時代のソフイストと混同せられ……その言動のあまりに自由に、あまりに大胆なるがために、彼はソフイスト中の最も厭わしき、最も憤怒を催さしめる、最も堪え難き者とせられたのであろう。
何事にもひたすら復古を念とし新を厭う反動時代となった時、多くの愛国者、特に教養少なき保守的な人々は、……凡眼には単に安逸を貪るもの、無用有害なるものと見えたに違いない。
けだし生きるか死ぬかは彼にとってはそれ程重大なことではなかったからである。重大なるは正しく行動するか否かであった。
かくの如くにして自己の信念のために生きたるソクラテスはまた自己の信念のために○れたのである。人間の自由と理性の自律とを説く彼の教えがよく弟子達の信ずるところとなったのは、特にプラトンをして決定的にフイロソフイアに転向せしめたのは、彼が単にそれを口にしただけでなく、それが彼の内に生きていたからであり、彼が死をもってその真実を証したからである。彼においてこそ知と行とは合一していたのである。
一、御聖訓には仰せである。?
「提婆達多(だいばだった)は、自分のことを人が貴ばなかったので、どのようにしたら世間の名誉が仏に過ぎることができるかと考え抜いた」(同1041ページ、通解)?
嫉妬に狂う提婆達多のような人間には、決して、なってはならない。?
プラトンが書き残した対話篇『国家』。その中で、師ソクラテスがこう語っている。?
「最も邪悪であることが明らかな人間は、明らかにまた最もみじめな人間ではないだろうか?」(藤沢令夫訳『国家(下)』岩波文庫)?
また、「とにかく〈正義〉の味方となって、ぼくにできるだけのことをするのが最善の途だということになる」(同『国家(上)』)と。?
皆さんが、日々実践されていることである。?
プラトンは、こうも綴っている。?
「もし誰かが、何らかの点で悪い人間となっているのなら、その人は懲らしめを受けるべきである」(加来彰俊訳『ゴルギアス』岩波文庫)?
悪いことは、厳しく指摘するのだ。?
あまりに自由 あまりに大胆 苛める保守
権力の 魔性 弾圧の保守
何かあると 真っ先に 寝返る保守
慈悲深き 岩盤の如き 悲しき保守
プラトンの如く 師の正義を 叫び抜け