◎発端
「砂原問答」
永瀬清十郎(1794-1856年)は、まず篠原常八の格好を見て、厳しく問い詰めた。
「その方は、首に頭陀をかけ、手に数珠を持ち、千箇寺詣と申して、修行者の様子であるが、これは、なんの義によるものか」
方便のさまざまな教えは、一面のみの真理を説いたものであり、相互に矛盾する場合もある。しかし、真実の教えに立脚した場合には、方便の教えも部分的な真理としてつつみ込まれ、活用することができる。これが「開会」である。
戸田は、現代における公場対決とは、いかなる形式を指すのか思索を重ねていた。…身延の本尊雑乱をつくことは極めて重要であり、…身延側は…日蓮本仏論、一閻浮提総与の御本尊などについて攻撃してくるにちがいない。
◎小樽問答
「凡人の知恵は後から出るというが、われわれの作戦は、想定されるあらゆる事態に備えて、的確な対策を立てねばならない。勝負は、今、ここで決定するといってよい。知恵は、今こそ必要なのです。後から出る知恵は、知恵ではない。それは後悔というものだ。悔いない戦いとは、事前の作戦の優劣にかかっているのだ。これから将来にわたっての広宣流布の法戦も、いつも、この原理を忘れてはならない」
「どっちの題目だ!」
第一は、実長が「立正安国論」の正意を破ったことである。
「倩(つらつ)ら微管(びかん)を傾け聊(いささ)か経文を披(ひら)きたるに世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず」
「立正安国論」に示された、この「神天上の法門」は、妙法を根本とする日蓮大聖人の教えの根幹であり、…日興上人は神社参詣を厳禁されていた。
日向
“法華経の持者が神社に参詣すれば、諸天善神も来下するのだから、神社参詣は結構なことである”
まさしく、「立正安国論」の教えを破る邪義である。
第二は、謗法への布施である。
「法華経の題目を以て本尊とすべし」
「本門は題目を詮ずる下準備ですか?」
身延側の司会者は、形勢不利と見て、時間切れを告げた。
◎展開
彼の孤独な思索には、前年の秋ごろから、彼をとらえて話さぬ大きな構想があったのである。
“時は、来ている”
“いや、時期尚早だ、まだ十八万世帯にすぎぬではないか。慎重を期すべきだ……”
「広宣流布は、どこまでいっても、結局は御本尊様の仕事です。自分たちがやっていると思うのは、一種の傲慢です。…御本尊さまは、適任者となり得る人を、必ずつくってくださるはずだ。…」
「わかったか!」
「民衆のなかに生き、民衆のために戦い、民衆のなかに死んでいってほしいと私は願う。
名聞名利を捨て去った真の政治家の出現を、現代の民衆は渇望しているんだ」
◎上げ潮
戸田は、北海道の汽車の窓から、遠い原野を眺めながら、異常なまでに寡黙になることがあった。来し方のすべての意義が、彼は、今、わかったのである。
“あのことも、このことも、一つとして無駄なことではなかった。過去の種々(くさぐさ)は、すべて見事に蘇生しているではないか!”
もしも、過去のある境遇や事件が一つでも欠けていたとしたら、今日の彼という存在はなかったであろうことを、戸田は、心に反芻しながら、じっと寡黙になっていたのである。
『創価学会が来たから、皆、戸を閉めて裏から逃げてしまえ』
『創価学会問答十二か条早わかり』
◎実証
大聖人が、「時を待つ可(べ)きのみ」と言われた、その「時」が、まさしく彼の眼前に迫りつつあった。
“恩師・牧口先生に、ひと目、お見せすることができたら、どんなに、この光景を喜ばれたことだろう……”
つまり、人は、なんでも思うことはできる。次から次へと思うことによって、使命感の陶酔で終わる人の、いかに多いかを見れば、戸田の十年にわたる実践活動こそ、一人の人間における、偉大なる人間革命であったといわなければならない。
“信心の漂民になってはいけない。生活に根を下ろさない信心ほど危険なものはない……”
「……しかし、今の話を聞いていると、一応、決意は立派なようにみえるが、心の底では、御本尊によりかかっていやしないか。
新潟で、これからも一生懸命、広布のお役に立つ活動を続けるから、御本尊様は、君の生活を、当然、守るべきだ、といったような、虫のよい安易さが、君の決意を甘やかしているように、私には思える。……困難に決然と立ち向かう勇気よりも、御本尊様の加護の方を先に当てにしている。ぼくは、そんな意気地なしを育てた覚えはない!」
「君が信心していなかったとする。そして事業に敗れて、妻子と共に路頭に迷っている。そこで君はどうするか。……」
しかし、思わぬ出来事や困難が重なって、深夜、われに返ると、絶望的な気持ちになる時もあった。しかし、信心に敗れてなるものかという、必死の頑張りが一家を支え、苦闘を乗り越えさせていった。
信心の日の浅い方々は、学会のことをあまり知らないのですから、こちら誹謗記事に対して、まだ免疫性が全くないわけです。
「道理証文よりも現証にはすぎず」
そこにこそ、無認識、偏見という壁を打ち破り、万人に、正義と真実を示しゆく証明の力があるのだ。
「マスコミが、“しまった”と思った時が、広宣流布だ」
「振り返って、長い間の折伏生活を考えるに、ここに座っている幹部は、大した人物ではありません。並べておいて言っては、申し訳ないが、なぜ大したものではないかというと、会長がどだい、大したものではないから、幹部も大したものではないという訳です」
この年(昭和30年)、創価学会は、19万4,239世帯の折伏を敢行し、三十万世帯を、はるかに越えたのであった。
【今日の聖教から2015.1.30(金)】
◎名字の言
2020年、東京五輪の時は、戦後75年の夏を迎える。
【今日の我が家】
心の病に苦しむ娘。22歳。
すぐにいじめられ、変人扱いされ、人の中に入っていけない。
行けるのは学会の会合だけ。
題目もあげるのもきつくなってきた。
もうどうしていいかわからない。
私が最初に心の病になったのも22歳。
しかも、折伏をやったあと。
娘も折伏をやって宿業がどっと。
私「自分も肩肘張ってた時期があった」
妻「お父さんが娘の病気が一番わかる」
私「全部乗り越えてきたからね」