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上海歌舞団「朱鷺」

2015年01月26日 (月) 22:21
上海歌舞団「朱鷺」

第40回「SGIの日」記念提言(上)
「人道の世紀へ 誓いの連帯」
〜地上から悲惨の二字なくす〜

◎新しい国際目標が目指す方向性
「あらゆる場所で、あらゆる形態の貧困に終止符を打つ」

◎戸田第二代会長の地球民族主義
「世界にも、国家にも、個人にも、『悲惨』という文字が使われないようにありたい」

マーチン・ルーサー・キング博士
「正義とは分割できないもの」

◎世界人権宣言が明確にした役割
第一は、悲惨を生む要因を取り除くための「政治と経済の再人間化」です。

ローマ・カトリック教会フランシスコ教皇
「路上生活に追い込まれた老人が凍死してもニュースにはならず、株式市場で二ポイントの下落があれば大きく報道されることなど、あってはならない」

◎ガンジーの信条と仏法の「中道思想」
マハトマ・ガンジー
「これまでに会った中で最も貧しく、最も無力な人の顔を思い出して下さい。そして、あなた自身に次のように問いかけて下さい。自分がしようと思っていることは彼の役に立つだろうか」

◎牧口初代会長が尋問で訴えた信念
「世間的な毀誉褒貶等に気兼ねして悪くはないが、善もしない所謂世間並に暮らせばそれで足れりとして、小善に止(とど)まり甚だしきに至っては法律に触れさえしなければ何をしても良いと謂う生活を総(す)べて謗法と申します」

◎未来の鍵を握る5%の人々の力
エリース・ボールデイング博士
「本当に未来の社会の動向を決定するのは、わずか5%の、活動的で献身的な人々の力なのです。その5%の人々が、やがて文化の総体を変革していくのです」

◎経済的な困窮と社会的な孤立
第二は、苦しみを共に乗り越えるための「エンパワーメント(内発的な力の開花)の連鎖」です。
アメリカ政治学者マーサ・ヌスバウム博士
「ある個人の大いなる苦痛と窮乏は、複数の人びとの幸運がそれに超過することで相殺されうる。ここでは各人の人生は一度きりであるという、もっとも重要な道徳的事実が、ぬぐいとられている」

◎「生老病死」への仏法のまなざし
このヌスバウム博士の問題提起は、釈尊が出家を決意する機縁になったとされる『四門遊観』(しもんゆうかん)の逸話に象徴されるように、生老病死の苦しみにどう向き合うかを根本課題としてきた、仏法のまなざしにも相通じるものです。

「アイデンティティー」の概念を提唱したことで知られる心理学者エリク・エリクソンは、縁起のダイナミヅムにも通じる視座を、次のように、
「『共に生きる』というのは、単なる偶然のつながりという意味ではない」
「一方が動くと、他方も動く歯車のように噛み合いながらすすみゆくものである」

◎ボールデイング博士の晩年の姿
まず、一つ目の鍵は、
「成熟した人間は必要とされることを必要とする」
人間はどんな状況にあっても、誰かを必要とされていることを実感した時、相手の気持ちに答えたいとの思いがわき上がってくる。

◎人生の出来事の意味を練り直す
二つ目の鍵は、人生の意味を紡ぎ直す営みが、悲惨の拡大を防ぎ、連鎖を断つ力となると、エリクソンが考えていたことです。

「打ち棄てられた者、迫害された者に対する、若い頃からの心痛む関心ーーそれは初め彼らの家庭内にとどまっていたが、次第に広範囲にわたる強烈な関心になっていったーーによって一つに結ばれていたように思われる」

◎個々の人権侵害を決して見逃さない
第三は、共生の世界を築くための「差異を超えた友情の拡大」です。

そもそも、差別に基づく暴力や人権抑圧が、自分や家族に向けられることは、誰もが到底受け入れられないもののはずです。
しかしそれが、異なる民族や集団に向けられた時、バイアス(偏向)がかかり、“彼らが悪いのだからやむを得ない”といった判断に傾く場合が少なくない。

◎舎利弗と天女をめぐる仏教説話
この問題を考える時、示唆的と思われるのが、大乗仏典の「維魔経」(ゆいまきょう)に描かれている、舎利弗と天女のエピソードです。
ーー釈尊の意を受けた文殊が、病気になった在家の信徒・維魔詰(ゆいまきつ)の家を見舞いに訪れることになり、舎利弗たちも同行した。
見舞いの場は、文殊と維魔詰との「仏教をめぐる対話」の場となり、それがクライマックスに達した時、その場にいた天女が喜びを表すかのように、花を皆に振るまいた。
その花が自分の身にも付いていた舎利弗は、修行者である自分にはふさわしくないと、急いで振り払おうとするが一向に取れない。
その様子を見ていた天女は、
“花は人を分別していないのに、あなたは花で人を分別しようとしている”
と述べ、その執着が舎利弗の心を縛り、動きのとれない状態にしていることを、鋭く指摘した。

納得はしたものの、その後も、天女に質問を続ける舎利弗に対し、天女は神通力を用いて、舎利弗を天女の姿に、自らを舎利弗の姿へと変化させた。

驚き戸惑う舎利弗に、天女は、彼がまだ分別に深くとらわれていることを重ねて諭し、元の姿に戻した。その思いもよらない体験を通し、舎利弗は、目に見える姿の違いで心を縛られてはならず、どんな存在にも本来、固定した特性はないことを深く悟るにいたったーーという話です。

本来、共有すべき善であるはずの平和や正義も、“自己へのこだわり”によって分断され、角突き合わせるようになれば、自分とは異なる集団への暴力や人権抑圧を正当化する免罪符となりかねない。

◎互いの物語に耳を傾け合う
かつて、私がイスラムと仏教をめぐる対話を重ねたインドネシアのワヒド大統領
「民族性や文化的な違い、あるいは歴史的な背景にかかわらず、対話は人々に“人間の顔”を与えることができる」

◎「最良の自己」を共に顕現する道
チェコ・ハベル元大統領
「来るべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、<最良の自己>であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」

先ほど触れた「維魔経」には、釈尊のもとに集った500人の青年を前に、全世界を包み込む宝蓋(ほうがい)が現れるシーンがあります。

その巨大な美しい傘は、どのようにして現れたのか。
「はじめから一本の傘があったわけではなく、五百人の人々のそれぞれの傘(すなわち、共生できる社会をつくろうとする願い)が合わさった結果が一本の傘となった」

排除の思想からの脱却

5%の力

“自己へのこだわり”を棄てよ

五百傘 祈りで目指せ 師と共に


今日から4人の障害者が職場体験。障害者雇用支援をしている関与先の要請で。来週は7人も来られるそうです。

給与支払報告書・法定調書・償却資産税申告書の提出作業に、皆追われています。
先週木曜日の22日に確定申告の案内を送り、早速ボチボチ持って来られていて、事務所内がごった返しております。今年は皆さん、ちょっと早いようです。

大牟田文化会館より恵まれた、24時間使用可能、騒音無関係、奥さんが創価班、3会場の自宅拠点も会合が錯綜しています。なんと議員唱題会も!来月のブロック座談会に一番尊敬する副県長が早々と決まりました。


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