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人間革命第7巻

2014年11月08日 (土) 20:40
人間革命第7巻

心に染み入る一節

◎飛翔
成否を誰(た)れかあげつらふ
一死尽くしゝ身の誠
仰げば銀河影冴(さ)えて
無数の星斗光濃(こ)し
照らすやいなや英雄の
苦心孤忠の胸ひとつ
其(その)壮烈に感じては
鬼神も哭かむ秋の風

「……しかし、このままで、今、死ななくてはならない。黙然として、頭を独り垂れる時、諸君ならどうするか?」

「この時の孔明の一念が、今日も歴史に行き続けているんです。
……
まず最初の一節は、疲弊の極みにあった宗門の姿ではないだろうか。だれが、それを心から憂えたか。丞相は、いったい誰だ!

「指導者たる者は、極力、本部に接近し、本部と呼吸を合わせてもらいたいし、私の一念に触れるよう心がけてもらいたい。信心や、折伏や、人材としての訓練、指導を、きちんと受けた人は、皆、立派に伸びています」

御本尊さまを、まず、しっかり拝むことです。勤行を、しっかりとやることです。……ありのままの自分でいいんです

退転していった人は、必ず退転する理由をもっている。……ちょっとした理由が多いものです。

◎原点
五老僧というのは、題目論はわかったが、本尊論がわからなかったんです。

大難があったけれども、大聖人様が厳然といらした時は、平左衛門尉も、執権も、手をつけられなかった。あまりにも偉大な仏様が、厳然といらしたからです。
ところが亡くなったとなると、彼らにとっては、もってこいです。その後、大弾圧の動きがあったんです。その時、五人は、みんな逃げ出してしまった。怖かったんですな。
五人は、皆、急に、『われわれは天台沙門だ』と言いだしました。『日蓮の弟子ではない』と言いたかったのでしょう。……
今のわれわれに、少し弾圧が加えられたとしたら、どうします?

私たちは、これらの主義により一歩上の次元に立つ大哲学によって、世界を指導するのです。

この五重塔は、仏法西還の意義を込め、西向きに建てられている。

創価学会の目的とするところは、ただ一つ、広宣流布にあります。なんのためか。ーー今、日本の民衆は悲惨な状態にあります。東洋の民衆も、どん底にあります。これを回復し、救わねばならないからです。このために、日夜、心を痛め、身を尽くしているのであります。

◎翼の下
御書を克明に拝読してください。『顕仏未来記』にも、この仏法は、西へ、天竺へ還ると仰せになっております。もしも、この仏法が、日本だけにとどまっているとしたら、仏法は虚妄となってしまいます。これを妄語とさせないのが、わが創価学会の使命であります。

あなた方は、まだ芽が出たか、出ぬかの時なんです。芽が虫に食われては、なんにもならない。草ぼうぼうですておいては、芽は腐ってしまう。
そこで、心田にある雑草を取らなければならない。それが折伏です。朝夕の題目は、畑にこやしをやることです。

本当によくなるのは、十五年だな。仏法は道理だもの……大樹になるには当然なことだ。七年ぐらいから、だんだん、よくなることが見えてくるでしょう。

華陽会「華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ」

『愛』といったって、『慈悲』といったって、みな一念三千のなかにあることだ。

しかし、そのような強靭な『愛』を、どのようにして自分の心に涌現させるのか、それは明かされていない。
……結局、九界の範疇です。
……
仏法の『慈悲』は抜苦与楽
……仏界となると、自然に、振る舞いそのものが、そのままで『慈悲』になってしまうんです。

女子部に、いちばん大切なのは、教学です。みんなも教学を真剣に身につけなさい。女子部が育つには、それしかない。

男は裸にしてみなければ、その偉大さはわからない。肩書きや、財産や、学歴などで評価するのは恐ろしいことです。

すべてをかなぐり捨てた、その男のなかに何があるかを見極めていくんです。

幸福を感じるよりも、不幸を感じることが多いのが、人生の実情といえるかもしれない。

◎水滸の誓い
私は、本を読む時、本文に入る前に、必ず、『序文』とか、『あとがき』を真っ先に読む。それは、作者が何を言わんとしているかを知るためです。つまり、言わんとする思想の片鱗をつかむためだ。

登場人物を、よく見極めて読みなさい。……一人の人物を見抜くということは、極めて難しいことだ。……ただ、人物を好きか嫌いかで決めてしまうのは、趣味的判断で、なんの役にも立たない。

小説を読むということは、書かれた事件なり人生を、読者が経験することだといってもよい。

「さて、この宗江だが、地方の小役人にすぎなかった人物が、なぜ一党の首領と崇められるようになったのか、これはいったい、どういうことか?」

誰でも自分のことは隠したがる性質もあるが、また反対に、何から何まで、“この人”という人に知ってもらいたいという面も、人間は強いものです。きみたちも、よく自分のことを考えてみなさい。

「士は己を知る者のために死す」

今のところ、世界の民衆は、まだ夢にも御本尊の存在を知らないでいる。しかし、物質文明の極まるところに、早くも人類滅亡の兆しを感じている。遠からず、それが不可避だと悟る時がやって来る。
その時、民衆は御本尊の存在に気づいて渇仰するに決まっている。

最高の知恵というのは、何を指していうか

「南無妙法蓮華経」

これ以上の知恵は、現代には断じてない。

知ろうともしないで軽蔑している。

人類がもつ最高の智慧なんだもの、誰でも頭を下げざるを得なくなる時が必ず来る。

◎匆匆の間
その悩みも千差万別であった。医者に見放された病人もいれば、債鬼に追われて自殺寸前のような蒼白な顔の、町工場の経営者もいる。夫の浮気に悩み、怒りの形相で指導を待つ婦人もいた。

あなたは、よかった。ものすごい力のある御本尊様を頂いている。真剣に、真剣に、お願いしなさい。

わかった。ここまで苦しんでくれば、しめたものです。それにしても重病なんだから、百日くらいは一生懸命に頑張ることだ。必ず解決するよ。今、金のできないことは、むしろ君の将来にとっては、いいことかもしれない。

戸田の短い質問にも耳を貸さず、ただ一方的に、くどくどと同じことを、繰り返し述べ立てるだけであった。

「いったい、この人を誰が連れて来たのか!」

どんな名医も、弁護士も、また高名な政治家でも、手をこまぬくより仕方のないような人生の問題であった。それは、通常の社会保障政策などの通念を、ことごとく超えたものといってよかった。

卑屈になってはなりません。卑屈になって世間を呪うようでは、仏の子とはいえない。あなたが村でしたことは、聞法下種といって、既に立派な折伏なんです。


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