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白蓮・踏繪

2014年08月25日 (月) 23:21
白蓮・踏繪

白蓮は藤原氏の女なり。
「王政ふたたびかへりて十八」のひむがしの都に生まれ、今は遠く筑紫の果にあり。

大正四年一月 佐佐木信綱

踏繪  白蓮

われはここに
神はいづくに
ましますや
星のまたたき
寂しき夜なり

瞬間は
稲妻のごと
来り去る
その束の間を
われ人にして生く

閻浮提
かりそめの
世は夢ながら
かりそめならぬ
戀もするかな

幾億の
生命(いのち)の末に
生まれたる
二つの心
そと並びけり

人の子は
始め終りを知らざりき
この天地と
この脉の音と

幾億の
年かも經たる
太陽の
齢を思う
小さき人かな

誰にいひ
誰に聞えむ
すべもなき
涙の糧に
わが歌は成る



太陽は
けさある如く
あすもあらむ
それよりかたき
誓せよとや

何物も
持たぬ此身の
重荷ただ
吾はわが身を
いかにかすべき

吾なくば
わが世もあらじ
人もあらじ
まして身を焼く
思もあらじ

不可思議は
いづこより来て
種蒔きし
屋根の上なる
紅の花

雨降れば
のそりのそりと
ひきがへる
汝(なれ)もや思ふ
天地の謎

野の中の
小さき道に
従ひて
吾は行く
行方も知らず

今日もまた
髪ととのえて
紅つけて
ただおとなしう
暮らしけるかな

呪えども
消えぬ思の
憎さより
心にかけて
忘れ得ぬ人

あすの日は
爐に投げらるる
運命(さだめ)もて
野に咲くものを
吾と思いし

たはむれか
はたや一時の
出来心
われにすべてを
投げすてし人

あひしとふ
事を悔ゆるに
あらねども
涙多きも
君あるがため

いつはらぬ
その誠をば
喜びつ
その誠をば
憎しと思ふ

ひたひたと
心は水に
とけて行く
おお海原の
波の行末

背教者
それもせんなし
生よりも
死よりも重き
荷を與へられ

壽量品
うつしまつれば
後の世に
あはましものと
みあかしの影


數千年の
歴史の末に
君といひ
我といふもの
生まれこしかな


わがこの身
大磐石の
上にあり
と思ひしものを
心のゆるぎ

妙法華經
勘持品よむ
昨日けふ
現世のせめも
忘られにける

一人の
ひとを思へば
七たりの
友みな憎む
我を呪ひて

偶像も
變化もわれは
うやまはむ
今この心
いやす道あらば

さねざめと
泣きてありにし
部屋を出て
事なきさまに
紅茶をすする

わがわれに
與へむとするは
百年の
後に生くべき
物語ぶみ

踏繪 終

◎心の華
志かもその操守一貫、歌壇の激流に…實にわが「心の華」なり。

☆☆☆
太陽は
けさある如く
あすもあらむ
それよりかたき
誓せよとや

數千年の
歴史の末に
君といひ
我といふもの
生まれこしかな

わがこの身
大磐石の
上にあり
と思ひしものを
心のゆるぎ
2014.8.25
<白蓮・踏繪>


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