黒田官兵衛(如水)と太宰府
味酒安則/太宰府天満宮 禰宜(ねぎ)
本命は「うまさけ」
醸造…かもす←かむ
菅原道真公
切腹は朱子学から徳川家光が導入
平安時代、
島流し
死んでも刑は終わらない
塩漬けにして京に送る
中国式の廟(お墓)…これが太宰府
神殿の真下に道真公のお墓
お寺から神社に変わった
もともとは「安楽寺」
道真公亡くなって1112年
官兵衛の時代
天神信仰…連歌
禅宗のお坊さん
平清盛
新しい仏教を持ってくる
禅…自力本願
永平寺…雲水
勉強する
中国の象徴「りんがせい」
連歌は難しい→茶道(禅宗の坊さん)
お茶を日本で最初に書いたのは菅原道真
↓
栄西・陽西…鎌倉時代 お茶の苗木
→八女茶、嬉野茶
かじる、かぐ…喫する
連歌とお茶の両方の神様…菅原道真
ずいずいずっころばし
お茶坪道中
如水…文化人…血を嫌い
→戦わずして勝つ
軍師…本来は占い師
戦国時代に本当の軍師
兵書に則った戦法
公証人
中津城
西の玄関
官兵衛は賭けに出る
金銀で6千の農兵
細川家を助ける
石垣原の戦い
小倉、久留米、柳川
あと薩摩さえ落とせば
徳川家光から停止命令
関ヶ原…6時間で終わった
家康「長政のお陰で勝った」
慶長5年12月11日
如水、筑前博多入国
近衛信伊(のぶただ)から手紙
「あなたの近くに太宰府があるではないですか」
如水、太宰府へ移住
黒田家は全部養子
「夢想連歌」
あげくのはて
→俳句
夢の中で
「福岡」の地名
如水が詠んだ
如水が夢の中で
「福岡」の命名は天神様
征夷大将軍
◎官兵衛の辞世
おもいおく
言の葉なくて
ついに行く
道はまよわじ
成るにまかせて
実は不遇の人生
いつも迷っていた
迷って決断したことはすべて成功した
◎遺訓
1)分相応に蓄財せよ
赤のひとえに
庭の梅みれば位がわかる
庭にはミカンを植えなさい
2)学問は自分や組織の有事に備えて励むべし
自分の危機管理
3)勝ちに不思議あれど、負けに不思議なし
たまたま負けるはない
部下から信頼を得なさい
威張ってはいけない
黒田一斉…土牢時の恩
播州 悪口祭り → 筑前
腹立てずの会→博多にわか
太宰府天満宮の中興の祖
末梅や末なかかれとみちりたつ
山よりつつく さとは ふく岡