第15章
ドン・キホーテが
世悪な馬方どもから
打倒される
「拙者は絶対に手を出さぬゆえ、おぬしが剣をとって存分に懲らしめるがよい」
「相手が下郎でも、騎士でも、おいらは剣を取りませんよ」
「人を知るには時間をかけよ、しかと左様で、むかしの人は偉大です。一寸先は闇とやら、殿様はこないだ遍歴の騎士を気持ちよくばっさりお倒しになりました、後が祟りました。打ちては返す波というやつですね。いやはや、大時化(おおしけ)でした。なにしろ、背中に丸太ん棒が雨霞ですから。うっかりでした、油断大敵です」
「武勲によって、いま申したような高い位に昇った騎士には、それまでにもそれからも、さまざまな逆境が付いて回るものだ」
「では、兄貴にお聞きしますが、時間が難儀を消してくれるのを、待ったり、死んでおさらば出来るのを待つあいだほど辛いことが他にありますか」
「弱音を吐くな、堪えろ」とドン・キホーテが励ます。「拙者も頑張る。…」
「どんな災厄も八方塞がりということはない。どこかが開かれていて、救われるものだ」
「…こんな人っ気のないところで真っ暗になっては困る」
「たしか、おっしゃってましたよね」パンサが皮肉を言う。「一年のうち大抵は人跡未踏の荒れ地で眠り、それを幸いとするのが遍歴の騎士の習い、とか」
「申した」とドン・キホーテ。「そうせざるを得ないときは、そうする。あるいは恋をしているときだ。…」
「それは困ります」
サンチョは応じて、痛い痛いと泣き言を三十回、よいしょ、どっこいしょを六十回、此畜生(こんちくしょう)を百二十回発し、…
第16章
奇想天外の郷士、
宿屋を城と思い込んで大騒動
と、手が、隣の騎士の腕にふれた。騎士はそれをぐいっ、とつかんで引き寄せる。女は声を噛み殺す、騎士はこれを寝台に腰かけさせ、肌着の上から撫で摩(さす)る。
「眞(まこと)に嬉しいことにござる。畏れ多き美貌の姫君の、かかる訪(おとな)い、身に余る光栄に存じまする。…」
他方、逢い引きの馬方どんは、…
と、様子がおかしい。女の相手は自分ではない。女は自分を袖にして他の男に身を任せている。そう気づくや、むらむらっと嫉妬(やきもち)が焼け、焦げるにいたって、ドン・キホーテの寝台ににじり寄り、全身これ耳となって事態を探ることとなる。女は腕を振りほどこうとして暴れ、相手は強引に引き止めようとしているようだ。
「出てこい。売女、おまえだろう、分かっているんだ」
「御用だ、神妙にしろ」
「御用だ」
「門を締めろ誰も外へ出すな。殺人だ」
第17章
豪勇ドン・キホーテと
忠臣サンチョ・パンサの苦難が続く。
ドン・キホーテは狂気ゆえ旅籠を
城と思い込んでいる。
「先ほど城主殿の姫君が拙者を口説きにおじゃった。妖しいまでに艶やかな、あの姫だ。…わたしの余りの幸運を天が妬んだ。…姫君とわたしが甘く睦まじく愛を語っている、まさにそのとき、どこからか、見えも感じもしない手が伸びて、途轍もなくどでかい羅刹が何かから出た手が、わたしの顎にぼかーんと一発食らわしよったのだ。…」
サンチョ「おいらもこっぴどくやられましたからね。…遍歴の騎士になりたくもないのに、災難だけは一丁前の騎士並みにふってきます」
大空の下、限りなく高い天井のもと、みんなして、毛布の真ん中のサンチョを、謝肉祭の犬上げのように放りあげて、面白がった。宙に舞うサンチョの悲鳴は殿様の耳にも達し、男たちは毛布上げに興じて大笑い。空飛ぶサンチョは、よせ、只ではおかん、おやめ下され、お願いします、と脅したりすかしたり、拝んだり泣きを入れたり、喚きどおしに喚いたが、効き目はなく、解放されたのは、男たちがくたびれ果てたときであった。