第九部
83 毛織布地の誕生
私たちは非常な苦労をした結果、とうとう、私たちのために、わざわざ国産綿糸で織ってくれる織物業者を幾人か見つけた。そして織ってもらうためには、彼らの織った布を全部道場で買い取る、という条件がつけられた。
こうして、工場製の綿糸で織った布を私たちの着物に採用し、またそれを友人に普及させたことが、私たちを、自発的にインド紡績工場の代理人にしてしまった。
84 有益な対話
わたしは、この国産の形態を奨励したい。というのは、それを通じて、わたしは、半ば仕事のないインドの婦人に仕事を与えられるからです。これらの婦人に糸を紡がせ、そしてそれで織った毛織布地で、インドの人々に着物を作って着せることが、わたしの理想なのです。今は始めたばかりですが、この運動がどこまで進んでいくものか、わたしは知りません。しかし、これに全幅の信頼を置いています。
85 上げ潮
わたしの書いた草案では、非暴力という言葉の使用をだいたい避けてきたが、わたしの演説のなかでは、いつもこの言葉を使っていた。この問題に関するわたしの用語は、まだ形成の過程にあった。わたしは、非暴力と同義語のサンスクリット語を使っていたのでは、わたしの言いたいところをイスラム教徒の聴衆にわかってもらえないことを発見した。
86 ナグプルにて
民衆の利益を守ることに懸命であり、心の広い、そして、誠実な代表千五百名のほうが、無造作に選出された無責任な人々六千名よりも、いつかはよりよい民主主義の擁護者になるだろう。
87 別れの辞
修練こそ、わたしにえもいわれぬ神聖な心の平和をもたらしてくれた。というのは、迷える者に真実と非刹生(アヒンサ)の信仰がもたらされることは、わたしの切なる期待であったからである。
真実なるものは、私たちが私たちの目で毎日見ている太陽の光よりも、百万倍も強い、名状すべからざる輝きを持っている
普遍的な、そしてすべてに内在する真実の精神に直面するためには、人は最も微々たる創造物をも、同一のものとして愛することが可能でなければならない。
しかもわたしは、なんのためらいなしに、またきわめて謙虚な気持で、宗教は政治となんら関係がないと言明する者は宗教の何であるかを知らない者である、と言うことができる。
しかし、わたしの前には、なお、登るに困難な道がある。
◎訳者あとがき 蝋山芳郎
トルースは、ガンジーの故郷グジュラート地方の言葉では、サッテイヤ(Satya)というのを英訳したものであった。そしてサッテイヤとは存在ーー心臓に根ざしたーーを意味している。したがって、トルースを真理と訳しても、全くあやまりとはいえないにしても、ガンジーが使った場合においては「真実」と限定的に訳した方が当を得ている。
◎解説 松岡正剛
タゴール
「ガンジーは自分自身に完全に誠実に生きた。それゆえに神に対しても誠実であり、すべての人々に対しても誠実だった」
「ガンジーは勇気と犠牲の化身である」