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インド独立の父

2014年03月11日 (火) 16:18
インド独立の父

第八部

75 新兵徴募運動
しかし、南アフリカでのわたしの経験は、非刹生(アヒンサ)が最も厳しい試練にかけられるのは、このヒンドウとイスラムの両教徒の融和の問題であろうということ、そしてこの問題は、わたしの非刹生の実験に最大の場を提供してくれることを、わたしに信じさせたのだった。

76 死の一歩手前
しかし、悪魔は機会の到来をねらっていた。ごく少量ではすまさずに、わたしは腹いっぱい食べた。これで死の使いを招き入れるのに十分であった。一時間たたないうちに、赤痢が悪化の兆候を示した。

「どうぞ注射をしてください。しかしミルクは別の問題です。わたしはミルクをとらない誓いをしています」

「あなたの誓いというのは、いったいほんとうに何なのですか」

「ですけれど、あなたは山羊(やぎ)の乳なら反対なさいませんね」

「あなたが山羊の乳を飲むなら、それでわたしは十分です」

77 ローラット法
全インド人に、その日は仕事を停止させて、その一日を断食と祈りの日として守らせようではありませんか。イスラム教では、断食を一日以上続けるのを許されていないので、断食の時間は、二十四時間としたらいいでしょう。

78 かの記念すべき週間
デリーでは、このような一斉休業を以前に見たことはなかった。ヒンドウ教徒とイスラム教徒が、一人の人間のように統一されていた。…これらのことはみんな、当局には許せないことばかりだった。一斉休業の行列が駅に向かって行進すると、巡査が阻止した。そして発砲した。多数の負傷者が出た。こうして弾圧の政治がデリーで始められた。

「わたしがあなたと意見がくいちがっているのはそこですよ。民衆は元来乱暴ではありません。平和ですよ」

79 ヒマラヤの誤算
このように一人の人が社会の諸法律に忠実に服従しているときに初めて、彼はどの特定の法律が善で公平であるか、そしてどれが不公正で邪悪であるかについて、判断を下すことができる。そのときになって初めて、はっきりと規定された状況のもとに、ある法律に対して非服従を行う権利が生まれるのである。わたしのあやまちは、わたしがこの必要な限定性を守らなかったところにある。
わたしは民衆に対して、彼らがそれを始める資格を持たないうちに、市民的非服従を開始するように呼びかけてしまった。そしてこのあやまちは、わたしから見ると、ヒマラヤ山の大きさを持っていた。

80 『ナヴァジヴァン』紙と『ヤング・インデイアン』紙
これらは正義の法廷ではなくて、専制主義者の独裁的意志を実行するための機関であった。証拠の裏づけなしに、また正義を全く蹂躙して判決が下されたアムリッツアーでは、無辜(むこ)の男女が虫けらのように腹ばいを命じられた。わたしの目から見ると、この暴虐の前にはジャリアンワラ・バグの虐殺事件も色あせ、意義の小さいものになってしまうのであった。

パンジャブからは毎日のように、常軌を逸した不正と抑圧の話がもたらされた。しかしわたしにできることは、ただじっと成すことなくすわって、歯を食いしばっていることであった。

81 キラファットは牡牛保護に反対か
「イスラム教徒は、非常に重大な決議を採択した。休戦条約が彼らに不利なものであればーー神はそれを禁じたもうーー彼らは、政府との協力をいっさい停止するだろう。協力をさし控えるかどうかは、奪うべからざる民衆の権利である。…」

82 アムリッツアー会議派年次大会
このとき、新しい統治改革に関するイギリス国王の発表が行われた。それはわたしにとっても、全面的に満足というものではなかった。だから、ほかの人には不満足そのものであった。しかしそのときわたしは、その改革は欠点の多いものであるにしろ、受託できるものである、と思った。


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