第五部
40 ギーターの研究
たとえば、人を侮辱し、尊大で腐敗した役人や、意味のない反対をして別れた昨日までの共働者と、つねに他人に対して善をなしている者を同じように扱うことが、いったい平等であったか。さて、すべての所有物を捨ててしまうことが、いったい無所有であったか。
41 『インデイアン・オピニオン』紙
わたしは、この新聞にわたしがいくらかでも投資しなくてはならないとは、考えてもみなかった。しかしまもなく、わたしが財政援助をしなければ、立ち行かないことを発見した。インド人もイギリス人もともに、わたしが『インデイアン・オピニオン』紙の主筆では名義上ないけれども、事実上その経営の責任者であることを知っていた。
42 不思議な魅力を持つ本
ラスキン『この最後の者に』
一、個人のなかにある善は、すべてのもののなかに潜んでいる善である。
二、すべての人が、彼らの労働から彼らの生計を得る権利を持っているかぎり、法律家の仕事と、理髪屋の仕事とは同じ価値を持っている。
三、労働の生活、すなわち地を耕す者の生活や手工業者の生活は、ともに生きるに価する生活である。
43 フェニックス農園
私たちはそこで、この計画に調和できない者には、いままでどおりの俸給を与え、しだいにその農園の一員に加わる考えを持つように仕向けることを提案した。わたしは、この提案の趣旨に従って、新聞の働き手たちと話をした。
44 家族
わたしは弁護士の家として許されるかぎり、多くの簡易生活を導き入れた。…変化は外面より内面のものが多かった。あらゆる肉体労働を自分でやることが多くなった。
子供たちは、両親から体つきに劣らず、その性質を受けついでいる。環境は重要な役割を演ずる。しかし子供が人生に旅立つ際の元手というものは、その祖先から受けついだものである。
45 ズールー族の反乱
この騒ぎが反乱という大仰なものになったわけは、一人のズールー族の首長が、彼の部族の人々に課せられた新税の不納を扇動し、そして税金の徴収に出かけてきた警部が襲撃されたことであった。
白人の兵隊たちは、彼らと私たちとを隔離する柵の外から、たびたびのぞき込んで、私たちが負傷の手当をするのを妨害した。
これは戦争ではなく、人間狩りだった。
46 ブラフマチャリア
獣は、本来自己抑制を知らない。人間が人間であるのは、彼が自己抑制の能力を持っているからであり、そしてただ彼が自己抑制を訓練する限りにおいてである。
わたしにとっては、肉体の禁欲を守ることでさえも、困難に満ちたものであった。
聖人や求道者は、彼らの経験を私たちに残してくれる。しかし彼らは、私たちに、絶対にはずれることのない、しかも普遍的な処置方法は与えてはくれなかった。
47 カストウルバの勇気
「わたしは牛肉汁はいただきません。この世の中に人間として生まれることはまれなことであります。ですから、こんな大きらいなもので、わたしのからだを汚すよりは、あなたの腕のなかで死んだ方が本望です」
48 家族のなかのサッテイヤーグラハ
外部から課せられた抑制というものは、まれにしか成功しない。しかし自発的な抑制のときには、それらは、はっきり有益といえる効果を持つものである。
「しかしね! なにも医者の勧告がなくても、わたしは塩と豆類を一カ年やめよう。おまえがしようとしまいと関係なしだ」
「…しかし、どうぞ、あなたの誓いは取り消してくださいませ。…」
「しかもわたしの益になることは請け合いだもの。というのは、抑制というものは、何のためにそれを思いついたにせよ、これすべての人間にとって有益なものだ」
「あなたは頑固すぎます。あなたはだれがなんと言ったってお聞きにならないのですもの」
と彼女は言った。そしてただ涙にくれた。
この後カストウルバは、めきめきと元気を取り戻した。
49 自己抑制をめざして
自己抑制を志すつもりの持ち主にとっては、食べ物の制限や断食は、非常に役に立つものだ。事実、そうしたことの助けがなければ、情欲を精神のなかから根絶してしまうことはできないのである。
ヒンドウ教のシュラヴァンの月と、イスラム教のラムザンの月
断食は、それが自己抑制という見解のもとに企てられて初めて、獣欲を制御するたすけとなる。友人のうちの幾人かは、断食のあとの影響として、彼の獣欲や味覚が刺激されたことを実際に経験した。つまり、断食も、自己抑制に対する不断の熱望がともなわないと、意味のないことになる。
わたしは精神の訓練は書物を通してではないことを知った。ちょうど肉体の訓練が肉体の練磨を通して施され、また知的訓練が知的練習を通してなされるように、まさに精神の訓練は精神の練磨を通しての可能である。
自己抑制を知らぬ者は、生徒に自己抑制の価値を教えることはできない。
50 法廷についての回想
わたしの訴訟依頼人がわたしをだましていることを発見した。わたしは、証人台に立った彼が、すっかり意気消沈したのを見た。そこで、一言の弁護もしないうちに、わたしは裁判長に、訴訟の却下を申し出た。相手方の弁護士はびっくりしたが、裁判長はこれを受け入れた。わたしは依頼人に向かって、わたしのところに虚偽の事件を持ってきたことをなじった。