夫婦で長崎に行ってきました(^_^ゞ
周総理の思いに我ながら涙しました。
周総理は本当に偉大な方です。
中日平和友好条約締結
35周年記念特別展示
理解・友誼・平和
主催:
東京中国文化センター
長崎華喬総会
後援:
中華人民共和国駐長崎総領事館
長崎新華喬華人協会
長崎孔子廟中国歴代博物館
長崎県日中親善協議会
長崎商工会議所
長崎新聞社
NCC長崎文化放送
KTNテレビ長崎
NBC長崎放送
NIB長崎国際テレビ
協力:創価学会
展示会場:
長崎港松が枝国際ターミナル
開催期間:
2013年11月7日(木)〜11月14日(木)
開催時間:10:00〜20:00
【主催者挨拶】
中国人民は、池田大作氏を「老朋友(古くて親しい友人)」と呼びます。
1960〜70年代、中日友好の夜明けに、困難な状況下、多くの日本の人士が両国の関係改善に尽力したが、池田氏もその代表的な一人です。
1968年、池田氏は「中日国交正常化提言」を発表し、世論を喚起し、国交回復と平和友好条約締結への道筋をつくりました。まさに先見性に富んだ大智大勇の発言でした。
池田氏が推進した民衆間の文化・教育交流の幅の広い事業は特筆に値し、周恩来総理はじめ、我が国の歴代の指導者や数多くの中国人民と友誼を結んでいる方も稀です。
さらに、次代を担う多くの青年たちに友好の精神を伝え、誠実と信義を貫くことが、世々代々にわたる崩れぬ中日関係の基盤となることを、自らの姿をもって教えています。
互いに理解し合い、友誼を結び、ともに手を携え平和を目指す──中日人民の心と心に“金の橋”を築いた池田氏の軌跡を、ここに紹介します。
●1968年9月8日
創価学会第11回学生部総会の席上、
約1時間にわたり、中日国交正常化への
歴史的な発言を行った。
「中国を他の国と同じように、
平等に公平に交際していくような状態に
持っていかなければ、アシア、世界の平和は、
いつまでたっても実現しない。
一、中国政府の存在を正式に認めること
ニ、国連における正当な席を用意し
国際的な討議の場に登場してもらうこと
三、広く経済的、文化的な交流を推進すること」
などの内容の提言を発表し、
後の国交正常化実現への、
大きな足がかりとなった。
●中日友好なくして、アジアの繁栄も、世界平和もない
池田氏は、ベトナム戦争が激しさを増す中、1966年11月に「即事停戦」と「平和会議の開催」を呼びかけた提言を発表。
1967年8月には「北爆の停止」を訴える提言を行った。
そして、アジアの安定のみならず、世界の平和にとっても中日友好は絶対に欠かせないとの信念に基づいて、「日中国交正常化提言」を行った。
●池田提言を大ニュースとして北京に打電
劉徳有・元中国文化部副部長
「池田先生の日中国交正常化提言を発表した当時、私は新華社の特派員として東京に在住しており、大ニュースと思い、その内容を中国に打電しました。その提言は、当時の日本では画期的なことで、生命の危険を覚悟しなければならない勇気が必要だったのです。その後の世界情勢と中日関係をみると、まさに歴史を先取りした予言であったと思います。」
●周恩来総理との誓い
1974年12月5日
第二次訪中の全日程を終えた帰国前日の答礼宴でのこと。
「池田会長、総理が待っておられます」
北京305病院、夜9時55分
「池田先生とはどうしてもお会いしたいと思っていました」
池田氏は、何度も「お体をご自愛ください」と気遣うが、総理は病を意に介せず、中日友好を熱く語った。
「池田会長は、中日友好を何度も提言されている。私にはとても嬉しい」
途中、医師団は、総理の病身への負担を心配し、会見を切り上げるよう、周総理にメモを差し入れるが、総理はそれを無視した。
総理の身体は、既にガンに冒されていた。
総理の命がけの姿に、池田氏は、その全てを遺言として受け止めた。
周総理が、かつて日本での留学を終え、桜の咲く時期に日本を離れた話を聞き、池田氏は、「桜の咲く頃に是非日本にお越しください」と、総理の来日を希望したが、周総理は「希望しますが、それは無理でしょう」との返事であった。
周総理は、会見から約1年が過ぎた、1976年1月8日永眠。
遺骨は、遺言に従い、中国の大地と海と川にまかれた。
●あの時、総理の思いは、
ただ「自分亡き後」の一点に向けられていた。
「20世紀の最後の25年間は、
世界にとって最も大事な時期です。
全ての国が平等な立場で助けあわなければなりません」
残された4半世紀で、
アジアと平和の世界へ
確固たるレールを敷きたい。
そして21世紀の中日の友好を断じて成し遂げてほしい。
私にも「あなたが若いからこそ、大事に付き合いたいのです」と言われた。
この時、総理、76歳。私は46歳。
●周総理婦人との友情
「あなたは戦友です」
「池田先生にお会いすると、
恩来同志の若き日を思い出します。
本当の革命家でした」
「私どもも若い世代を、
後継者を出来るだけ早く成長させるために努力します。
池田大作先生が言われるように、
21世紀はこれからの青年が大事です」
●中国の歴代国家指導者との語らい
☆とう小平総理1975年4月
「池田氏に感謝しています」
☆李先念副総理1978年9月
池田氏「何を日本に求めますか」
副総理「わが国と仲良くすることです。しかも我々の世代だけでなく、子々孫々まで仲良くすることです」
☆華国鋒主席1980年4月
「今までに池田先生と接触した中国の人たちが知っているのみならず、私たちのように今まで会ったことのなかった人々も池田先生を、そして創価学会を知っています」
☆胡耀邦総書記1983年11月
☆王震副主席
1987年11月
1990 年5月
「この状態(天安門事件)に対して憂慮の念を表し、創価学会の代表300人を自ら率いて中国を訪問され、北京で『池田大作写真展』を開催することが決定されました。
『患難見真知』(困難な時にこそ、真の友が分かる)です」
☆李ほう総理1989年4月
☆江沢民主席に1998年11月
☆胡錦涛国家主席
1985年3月全青連主席
1998年4月
☆温家宝首相2007年4月
書「慈航創新路 和諧結良縁」
●池田氏より習近平主席に贈られた漢詩
(2009年12月)
「国 双肩に 人心に在りて
美徳 習いと成りて 平民に近づく
金橋(きんきょう)の往来
更に友好なりて
世界に和諧して
共に欣欣たり」
●創価大学と中国との交流
世界46か国・地域、140を超える学術交流大学のうち、約3割が、中国の大学である。
●「池田大作研究」の広がり
28の中国の大学に「池田大作研究会」
●中国の大学から贈られた名誉学術称号130
1 1984年6月 北京大学
〜
130 2013年10月 大連芸術学院
●中日友好の未来へ 新しき提言
更なる青年交流を 青年が力合わせて行動する時代を!
〜2013年1月26日〜
一、ハイレベル対話の早期実現
ニ、「日中首脳会談」を定期開催
三、「東アジア環境協力機構」の設立
写真は「大村湾の夕日」
1982年(昭和57年5月)撮影
Photo by Daisaku Ikeda